「山さ人の住むとこではねぇ!」
「村にいてもオラは人でねかった!」
咎人を先祖に持つばかりに田畑を取り上げられ、穢れた仕事をして村はずれにひっそりと暮らすリンの物語。
東京国際映画祭にて鑑賞していたので、公開にあわせて採点も記録。
オソレやケガレ…シキタリやナラワシ。
生産性のない士族を階級の頂点に据えた江戸時代の階級制度と格差社会のシステムとか、閉鎖的なムラ社会を成立させるための伝統とか…慣習や社会に翻弄された凛の後ろ姿と頼りない歌声。
とっても優しかったのに、どうにも寂しかった。
地縁、社会縁、血縁。
関わり合う全ての人々から見放されたら、人はどうやって生き延びれば良いのだろう?
結界を越え、人間社会の果て、禁忌の先まで逃げ込むしかなかった凛…そこにあったのは非文明的ではあっても人間らしい生活と超自然的な存在。
安息の日々も束の間、ヤマから連れ戻された凛に対する背徳感や怖れ、さらには土着的な信仰や自然への畏れが重なり合った挙句、少女という存在すらも超え、ついには何ものからも切り離されてしまったかのように涙を流すこともなく、諦めとも赦しとも取れない様相でそぞろ歩く凛。
そんな凛が描いた幸せ、人間らしさって一体何だったんだろう?
そんな心持ちで終始ため息と切ない気持ちに苛まれながら鑑賞したけど、大変有意義な映画だった。
信仰対象としての山とジェンダーの関係とか、民俗学的な背景とか。さらには社会学的な江戸の階級制度や産業構造やらが理解できると、もっと深く考察できそうなので、公開までにせめて遠野物語だけは読んで再鑑賞したい。
にしても友人が劇伴をやっていた影響で観たミスミソウで知った山田杏奈ちゃん演じる凛が本当に良かった。(ミスミソウの春花よりある意味悲惨だし。。)
しかも登壇されたので二倍感激。
久しぶりにミスミソウ観ようかな 笑。
この映画で唯一文化的に思えた道具を用いた「狩り」のシーン。
考えたらマタギって歴史の浅い職業なんだなぁと考えはまとまらず…自分には物語全体の神聖なものへの畏敬の念とか、親自然的雰囲気を一刀両断にするような酷く暴力的な印象的なシーンに映った。
なんとなく『殯の森』を思い出した。