ナガエ

aftersun/アフターサンのナガエのレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
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すごくシンプルな物語で、そのシンプルさ故に、受け取り手の想像力が試されるタイプの映画だと感じた。僕はたぶん、ちょっと想像しきれなかった側の観客かもしれない。この映画が描き出そうとしている「何か」を100として、僕の理解は90にも達していない気がする。「もうちょっと分かりたかった」というのが、素直な感想だ。

父・カラムと、娘・ソフィが、トルコのリゾート地にバカンスに来ている。物語は基本的に、このバカンスの数日間のみを描いていると言っていい。だから、この父娘の関係についても、具体的な情報がもたらされる場面は少ない。ただ、カラムはソフィの母親と離婚しており、ソフィとは一緒には暮らしていない。ソフィと母親の関係についてはほとんど言及はなかったが、ソフィはどうやら、父・カラムのことが好きなようだ。

彼らは、宿泊先のホテルの敷地内からほとんど出ていないように見える。一度、バスに乗ってツアーに参加したぐらいではないだろうか。後は、ホテル内のプールやその他施設、隣接しているだろうビーチに足を運ぶぐらい。2人は、これと言って何をするわけでもなく、「2人でいる」ということに最大の重心を置きながら、このバカンスの日々を過ごしている。

その時間は、とても楽しそうに見える。

しかし何故か、そこには言い知れぬ「緊迫感」みたいなものが漂う瞬間がある。その発露のされ方は、父と娘で異なっている。

2人は、レトロなビデオカメラでお互いを撮り合っているのだが、父・カラムはソフィの見えないところでそのビデオテープを見返しながら、物思いに耽っているような様子を見せる。恐らく彼は、ソフィとのこのバカンスに、なんらかの大きな意味を見出している。その「意味」は、僕には正直はっきりとは分からなかった。映画の中で、象徴的に繰り返し差し込まれる「灯りが明滅する中で踊っている場面」が何か関係しているのかもしれないとは思うが、その描写は僕には上手く繋がらなかった。彼が一体何を抱えていたのかの理解に届かなかったところが、少し残念だった。

一方ソフィは、ホテルでの滞在中、様々な「大人たち」に目を向けている。プールサイドでキスをするカップルや、ディナータイムで音楽に乗せて踊る老夫婦などだ。その眼差しが何を意味するのか、これも明確に理解できたわけではないが、なんとなくはわかる。そこにはもちろん、「離婚してしまった両親」を重ねている部分もあるだろうが、それ以上に、「まだ子供であるが故に、大人である父の心に深く入り込めない」という諦念みたいなものが込められているように僕には感じられた。

なんとなく「緊迫感」の漂うシーンの1つに、「パパは11歳の頃に何をしてた?」とソフィが尋ねる場面がある。映画の冒頭は、まさにこの場面から始まるのだが、この場面がちゃんと映し出されるのは映画の後半になってからだ。

現在11歳であるソフィが、2日後に31歳になる父親に向けて放った他愛もない質問のはずなのだが、何故かカラムはこの問いに答えない。なんとなく不穏な感じが漂う。当初、「カメラを向けられていること」を理由に、その質問に答えない意思を示していた父親に、ソフィはさらに、「だったら、私の小さな心のカメラに撮るから」と、さらに先程の質問に答えてくれるように促すのだが、それでも答えないのだ。

この映画にはこういう、「理由はよく分からないが、何故か緊迫感が漂うシーン」がいくつもある。

なんとなく、「2人の関係に何か補助線を引けば、すぐに『そういうことか!』と理解できそう」と感じるのだが、結局僕には最後まで、その「補助線」が何なのか理解できなかった。

ただ、「理解できないこと」が僕にとってあまりマイナスにはならなかった。それは、とても珍しいことだ。僕は、映画のビジュアルとか衣装とか音楽とか効果とかに、ほとんど興味がない。「どういうストーリーなのか」ということに、もっとも強く関心があると言っていい。だから普段は、「ストーリーが上手く理解できない作品」に対しては、マイナスの感覚を強く抱いてしまうことが多い。

ただこの作品の場合は、あまりそうはならなかった。結局僕には、カラムとソフィがそれぞれ一体何を抱えていたのか上手く捉えきれなかったのだが、それはそれとして、物語として、映像として、2人の関係として、とても素敵なものを観たなという感じになれた。願わくは、もう少し深いところまで理解できたら良かったとは思うが、まあそれは仕方ない。

この2人の何が良かったかというと、「カラムはソフィを子供扱いしないし、ソフィはカラムに子供っぽく接しない」というところだと思う。つまりそれは、「どことなく親友感がある」ということだ。

そんな関係が成立する背景は色々と絶妙に散りばめられている気がする。離婚したがために、お互いに会う機会が少ないこと。宿泊客から「兄妹」に間違えられるぐらいの年齢差。「大人びたい」と感じているだろう思春期のソフィの心情。そして、この旅行に何かしらの「思い」を持って臨んでいるだろうカラムの、その「思い」がもたらしていると思われる悲哀。そういったものが、「親子っぽくない、親友みたいな感じ」を成り立たせているのだと思う。

他者との関わりも多少はあるが、それでも、全編に渡ってほぼこの2人の関係しか描かれない物語は、特段何が起こるというわけでもないのに、その静かな描写に引き込まれるような強い引力を感じた。正直、普段の僕ならそんなに好きにならないタイプの映画な雰囲気があるのだけど、これは観てよかったなと思う。
ナガエ

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