この映画から得られるものは皆無であるが、お金を払って観に行くという行為が、重要な意義を持っていた。この75分の虚無の間に、自分が彼になりきり、この問題について考えることができるというのはある意味重要なのではと考えられた。
インデペンデントなことを加味しても、映画として全体的にお粗末な出来であったことは否めなかった。
もしかしたら、賞を狙っているのかもしれないが、尺稼ぎのような、よく分からない長回しが多くて大変退屈だった。
音楽もバリエーションがほとんどなく、改めてBGMの重要性に気付かされた。
主人公の演技は良かったと思うが、内容が薄すぎて、特に時系列もクソもなかった気がした。
今このタイミングで観ることが、そして時事性が大切な作品であった。それなのにも関わらず、後世に山上徹也を、さらには宗教二世のことを伝えていくメディアとしてほとんど機能していなかったことが、ただただ残念である。
ダークナイトライジング公開時に起きた、オーロラ銃乱射事件のように、ある種の暴動が発生するのではないかと思ったが、そんなことにはならなく、そもそも映画公開自体の知名度の低さもがっかりである。かの事件を賛美する訳ではないが、日本国民は山上容疑者と同じく、負のエネルギーの表面化がほんとに弱い。