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テリファー 終わらない惨劇のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

4.5
【理路整然たる狡猾狂気】
「全米が吐いた」ことで知られる『テリファー 終わらない惨劇』。なぜか、カイエ・デュ・シネマがやたらと褒めているのでホラー映画苦手な私も観てみることにした。前作は、画期的であった。モンスター「アート・ザ・クラウン」に声を与えないことで、喜怒哀楽の身体表象に特化した追い詰め方を開発しており、手数も多かった。なによりも狡猾に惨殺していくアート・ザ・クラウンが「怖い」でも「オモロイ」でもなく、「カッコいい」に着地しようとしていたところに痺れた。日本だと、白塗り顔芸YouTuber「終わった人」がおり、アート・ザ・クラウンの造形が彼にそっくりなことからギャグ映画になりそうなところをそこへは転がっていかないところに監督の美学を感じたのであった。そして、続編が想像以上の大傑作で2024年旧作ベスト候補の一本であった。

暗くも騒がしい工場のような空間。パトカーやら若者やらが通り過ぎる深淵で事件が発生する。這いつくばるおっさんが必死に救急車を呼ぼうとしている。しかし、その努力も虚しくアート・ザ・クラウンに弄ばれる。眼球を奪われ、それは奴の眼の窪みに挿入される。解体した後、彼は物品を漁る。本作はジャン=ピエール・メルヴィルを彷彿とさせる丁寧さが伏線となって、画に意味を与えていく。溢れる小銭は、鮮血がべっとりと染み込んだ服を洗うために使用されるのである。彼の行動には意図があるのだ。一方で、得体の知れない不気味さも画に与えていく。突然、コインランドリーに異音が発生する。ふと奴が物陰を見ると、女のクラウンがいる。「こんばんわ」と挨拶を交わすと、一緒に手遊びをする。そこでようやく入り口の男が目を覚ますのだが、彼の眼差しの先には彼女は存在しない。つまり、奴の妄想だと分かるのだ。

この虚実の曖昧さがテーマとなり、『エルム街の悪夢』たる世界へと導いていく。恐怖は人間の深層心理レベルで発生する。不安が強まるほど、恐怖が意識され現実を侵食していく。その跳躍を華麗に描いてみせる。

女がアート・ザ・クラウンの夢を見る。物乞いの横で、強烈な料理が振る舞われる。少年はカミソリや虫が入ったシリアルをむしゃむしゃ食べる。その中にはオマケが入っているらしい。やがてクラウンが空間内の人々を皆殺しにし、ついに彼女ひとりとなる。彼女はシリアルのおまけがクラウン撃退の鍵になると、手をシリアル箱に突っ込み、血だらけになりながら、ソードを取り出す。そしてクラウンの火炎放射攻撃に対してカウンターをする。ただ、それは現実において火事を引き起こしてしまう。超常現象なので、彼女がろうそくの火を消さずに寝たことが原因として処理されていく。思い返せば、シリアル箱はその前の描写で出てきている。無意識に存在するシリアル箱、意識されるソードの組み合わせがまさしく夢の本質であり、映画のギミックとして作用しているところに感動した。

また、映像編集面でも勉強になる。アート・ザ・クラウンから逃げる少年が扉を押さえながら机の上を凝視する場面。そこにはソードがある。「これで奴を倒せるかもしれない」といった心情を画に語らせる。その数秒後には扉が開き、奴もソードを凝視する。ここでは少年の行動予知の働きがある。的確にモンタージュ効果を施し、アクションに戦略性をもたらしているのである。

つまり『テリファー 終わらない惨劇』は単なる露悪的な作品の領域を超え、映画理論の豊かさによってアートの領域へ到達した大傑作であった。
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