このくらいの狭さと内装で、椅子とテーブルが置けるくらいのバルコニーがある部屋っていいなぁ住みたいなぁと思った。ホン・サンスなので映画の中の部屋の居心地は悪い。
途中寝落ちしてしまったにもかかわらず、ちょうど一年前に観た『小説家の映画』よりも好いような気がした。キム・ミニ出てないのかぁと最初思ったけど、キム・ミニが出てないことで却って「純度」が上がったような気もした。
その純度とは、雑味そのものなのかもしれない。透明度の高いキム・ミニが映されることで浄化される瞬間が無いことや、役柄としての彼女の意思が語られないことで、ホン・サンスの分身的なクォン・ヘヒョの役における懶惰や卑怯さがそのまま示されるように思った。部屋のドアのオートロック音がいちいち盛大に鳴るいやらしさも。
モノクロームであることで辛うじて整頓されるが、同じ建物のなかで時制も人びとの関係性も異なるシークエンスが地続きで表され、それは『正しい日 間違えた日』のようなもしもボックスかどうかもわからない。