SANKOU

ゴジラ-1.0のSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

ゴジラ-1.0(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

子供の頃に初めてゴジラの第一作目を観た時は、トラウマになるほど怖かったことを覚えている。
あの一作目を超えるゴジラ映画にはまだお目にかかったことがないが、今回の作品は原点回帰というべきか、戦後の日本が舞台になっているということでかなり期待感があった。
終戦間際のある島に、特攻から逃れた敷島の操縦する零戦が不時着する。
そこで敷島は島の伝説となっているゴジラに襲撃される。
島には整備兵しかおらず、ゴジラに零戦から砲撃出来るのは敷島だけだった。
しかし恐怖のあまり敷島はゴジラを撃つことが出来ず、島の整備兵は橘ただ一人を残して全滅する。
敷島は戦場から逃げ出したという負い目を感じたまま帰国する。
空襲によって焼け野原になった東京で、敷島は成り行きから赤ん坊をつれた典子と共に生活することになる。
明子と名付けられた赤ん坊は戦災孤児であり、典子とは何の繋がりもないらしい。
やがて敷島は米軍が残した機雷の撤去作業の仕事に就き、典子と明子を養っていく。
少しずつ復興していく東京と、人並みの生活が出来るようになった敷島。
しかし敷島は夢の中でゴジラの陰に脅かされ続ける。
彼の中ではまだ戦争は終わらない。
やがてアメリカの核実験によって異常な変化を遂げたゴジラが再び彼の前に姿を現すことになる。
やはり初代ゴジラが恐ろしかったのは、ゴジラの出現と人間の死がしっかりと結び付いていたからだろう。
東京を焼き尽くすゴジラと犠牲者の姿が今でも鮮明に脳に焼き付いている。
今回のゴジラもやはり原点回帰というべきだろう、かなり恐ろしかった。
カメラのアングルも秀逸で、機雷を乗せた木製の船を追いかけるゴジラの姿はトラウマレベルだ。
そしてゴジラが暴れれば暴れるほど、確実に多くの人の命が奪われるのだということを痛感させられる。
復興した銀座の町をゴジラがあっという間に破壊する姿はショッキングだ。
典子は敷島を庇ってゴジラの熱線による爆風で吹き飛ばされる。
またしてもゴジラを前に何も出来ずに敷島は打ちのめされる。
彼は復讐のためではなく、明子の未来のためにゴジラと戦うために再び空を飛ぶ決心をする。
この映画のテーマは、とにかく生き延びることだ。
冒頭の敷島は生きるために特攻から逃げ出したのだが、いたるところで命を粗末にしたあの戦争に対する強い反発のメッセージを読み取ることが出来る。
ただあまりにも戦争色が強くなり過ぎて、かなりデリケートな作品になってしまったようにも感じた。
米軍がソ連との緊張状態もあり手助け出来ないという設定はリアリティがあるのかもしれないが、一国の滅亡の危機に政府ではなく民間の団体が立ち上がるというのはさすがに無理があるだろうと思った。
そしてゴジラとの決戦が、他国から侵略された時に国を守るために戦う日本人の姿と重なって見えてしまった。
もっとシンプルに町を蹂躙して焼き尽くすゴジラの恐怖を描いても良かったのではないか。
作品としてはとても面白かったが、ゴジラシリーズに思い入れがあるだけに色々と気になる場面があった。
ビルの屋上でレポーターがゴジラによって破壊される町の様子を実況し、やがてゴジラの餌食となる構図は初代ゴジラにも観られたが、あまりにもゴジラの動きに躍動感があり過ぎてコメディと紙一重だったように思う。
それはゴジラが咥える電車の車両に取り残された典子が手すりにぶら下がる場面もだ。
ひょっとしたらそれも狙いなのかもしれないが、ゴジラの動きはあまりダイナミック過ぎない方が恐怖感が滲み出ると思った。
そしてお馴染みの伊福部昭のテーマ曲も、今回の作品のテイストなら使わなくても良かったのではないかと感じた。
もちろんあのテーマ曲が流れればテンションは上がるのだが。
面白いものを作ろうという制作者の気迫が伝わってくるだけに、色々と惜しい作品だと思った。
登場人物を絶望に叩き落とすような展開が続く作品だが、最後は思わぬハッピーエンドが待っている。
と思わせておいて、やはりバッドエンドを予感させるカメラアングル。
そして続編を期待させるゴジラの復活。
やはりそう簡単にゴジラは逃がしてはくれない。
SANKOU

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