だいち

怪物のだいちのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

怪物、だーれだ

まず、全体を通して、カメラが収める人物や風景の綺麗さで、ずっと観ていられる。
流浪の月もそうだったが、少し淡いような。
そして、坂本龍一さんのBGMも含めた音楽が、より集中させてもらえる。

是枝監督の作品は何作か観ているが、どの作品にも似てないのは、脚本の坂本裕二さんの影響だろうか。

複数の登場人物の視点から、物語を理解していく、という方式は、最近のトレンドなのか分からないが、やはり鉄板で見応えがあるな、と感じた。

子役の2人の顔が整いすぎてて驚いた。
小技だな〜と思うのは、クラスの端に座る女の子の呼んでいる本がボーイズラブの物であることだ。(これは2人の関係を示唆しているからなのか、その女の子が2人を見て妄想を膨らませているからなのか、それは分からない)
しかし、1人が学校に来なくなると、その女の子も本を読むのをやめていることから、やはり2人いないと、妄想が膨らませられなかった、ということだろうか。

安藤サクラさんは、『ある男』でも母親の役だったので、何も違和感なく感じたが、『怪物』の視点から言うと、彼女も、学校側からすれば『モンスターペアレント』という扱いを受けてしまう、と言う点で『怪物の一員』となってしまうのだろう。
また、息子に対して『普通の人生』を無意識にも押し付けてしまうところも、息子にとっては弊害となってしまっていた。

初めからずっと、不穏な空気、違和感が漂っているが、物語が進むにつれて、それは紐解かれ、また視聴者の想像力に任せられる部分もある。そういった点で、『怪物』は誰でも、ある人から見れば、そうなり得るということを感じられる作品。

瑛太にしても高畑充希にしても中村獅童にしても校長先生にしても、各々が、『怪物』の部分がある。
校長先生は『学校のことが好きすぎるあまりに、嘘をついたこと』
瑛太は『キャバクラに通っている、笑顔が怖い』部分が子供や親から見たら怪物の部分
中村獅童は言わずもがな。学歴をプライドとする、エリートなのだろうが、心は違った。
また、記者会見をしている時の、親御さん方もまた、瑛太や学校側からすれば、怪物のように見えただろう。

クラスの女の子が猫のことを嘘付いていた?のはよく分からなかった。

幸せは、誰にでも得られるもの

ビルの放火は、星川くんということか。お父さんがお酒を飲んで、健康に良くないからと。

安藤サクラからすると、部屋でライターを見つけたことから、息子が放火犯とならぬよう、学校側を悪に仕立て上げて、いたのだろうか。

怪物は、いじめをしている子供達の中にも。
目が死んでる、歪んでいると知りながら保身のために振る舞う教師たちも。

だが、一番は2人の男の子が
純粋な気持ちでいるにも関わらず
世間の声、親の声、クラスメイトの声
から『怪物』の扱いを受けてしまっていることである。
マイノリティへの理解は、メディア内でこそ、高まっているが、実際はまだ、教育的にも、世代的にも、理解が不足しているという、メッセージに感じる。

ただ、間違っていないのは、

安藤サクラの『子を思う親の行動』
瑛太の『気付けなかった後悔から来る行動』
そして『怪物と言われながらも自分たちの気持ちを守り続けた子ども達の存在』である。安藤サクラもまた、瑛太から息子の気持ちを知り、後悔し、行動せずにはいられなかったのだろう。

幼いながら、偏見に晒されながら、それでも純粋な気持ちを守り通した、男の子2人が、一番逞しいと、思った。

そんな2人だが、最後は、生まれ変わることはなく、2人のまま、柵の無い、自由な世界へと羽ばたいていく。純粋な心と共に。


この作品は世代を超えて、『他者の視点から見たら本人達は正義で、しかし怪物にもなってしまう』ということを教えてくれる。何が正しくて、何が間違っているのか。
だが、正しい、間違っている、そのことよりも大事なものはなんだろうか。

そう、思う。
だいち

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