純

怪物の純のネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

「誰かにしか手に入らないものは幸せって言わない。」
「誰でも手に入るものを幸せって言うの」

みんなが子供たちが幸せであるために
我々はどうすべきか考えさせられた作品

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3章構成、3人の視点から同じ場面を描いた本作。
同じシーンを別視点で描くパターンはこれまでにもよくある構成(所謂、羅生門形式)であったと思うが、その殆どが「Aからは間違って見えていたけどBが真実だった」という表現だったと思う。

しかし本作では母視点では母の正しさ、担任では担任の、子供たちでは子供たちの正しさがあり、誰かが誤った・外れた行動を取ったとは一度も思えなかった。
(追記:結果的に母から見えていた湊が担任にいじめられているという事象は誤りで真実でなかったわけだが、母があの視点からそれを見抜くことや、息子の主張を疑ってかかり学校への批判は避けるなんてことは難しく、自分が母親でもああなるだろうなと感じた。母には母の正しさがありそうするしかなかった)

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今回公開前にカンヌでクィア・パルム賞を受賞した事を皮切りに、それがネタバレだという批判やクィア当事者からの批判が出た。私はクィアではない(それなりに関心を持ってこれまで問題や情報と接してきた自負はある)ため、表現にどれほどの思慮不足があったかは言及できない。
しかし是枝監督の「LGBTQに"特化"した作品ではない」という発言は見た人全員納得できるものだったのではないか?

タイトルや主題になっている《怪物》は、なにもLGBTQ当事者やそのうちにある葛藤だけを指しているものではない。

母であれば、息子を思うばかりに取った攻めの姿勢・そのうちに感じた息子の行動への疑念や不安。(+異性愛を疑うことなく、それを悪気なく息子に押し付ける)

担任であれば、クラスメイト達のいじめを見抜けずに湊が星川をいじめていると誤った見方をしたこと。してない暴力を疑われたために、湊やその家族は母子家庭特有の変わった家族と決めつけたこと。(雑誌の誤植を指摘するように、他人の誤りばかりに目がいく性格)

校長であれば、学校の名誉を守るためなら手段も問わないという姿勢。

星川父の、LGBTQの息子を「病気」と言い張りDVを振るう様子。

など、全ての人間に「自分の視点しか見えないために起きる葛藤や、そのために起こしてしまう行動」があり、その全てが《怪物》であるのだ。

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また、少年2人がクィアであったことをネタバレのように扱う人もいるだろうが、実際映画を見た後の感覚としては2人がクィアであったことはさほど重要では無いと感じた。(しかし、異性愛を当然とし、それ以外を異端とする大人たちの無自覚/自覚ありの加害はしっかり描かれており、最終的に少年視点で作品を見れることによって主観的に感じられ、その暴力性への問題提起もされている)

実際のところ2人はただの友情ではない愛情が芽生え、湊はそのために戸惑いや星川を守るための行動が生まれていた。しかし仮にこれが、ただの友情や同情だったとしても、母視点や担任視点は大きく変わることはないと思う。なぜなら母は息子を守ること、担任は湊の様子がおかしいことと星川が誰かからいじめられていることしか見えていなかったからだ。

本作においてクィアは大きな問題ではなく、主題は人間社会にある〈自分視点では見えていない真実に対する行動がどうあるべきか〉という問いであると分かるだろう。

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これから観る人は、是非とも少年がクィアであることや是枝監督の発言、パルムで受賞したことなど、本作の一面的な要素に捉われず、どうかフラットな状態で《自分だったらどうするか》考えて鑑賞してほしい
純

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