TEIMAIL

怪物のTEIMAILのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

怪物(2023年公開作品)
※視聴回数 1回

またとんでもない映画を見てしまったし、視聴し終わってからもずっと考えてしまう。そんな作品。

この作品は"怪物"の正解を明確にしていない。基本的に受け手に解釈を委ねている作品は制作側の怠慢だと考えていたが、この作品は"これ"でいい。「怪物だ〜れだ?」という予告から、怪物が誰なのか?という視点でこの作品を視聴することになったがその時点でまんまと嵌められていた。

ありきたりな結論を書くとしたら「当事者にしか見えない景色や角度がある」ということなんだが、この作品が伝えたいことはそんな浅いことではない。作中でも出てきた"穿った見方"という言葉が、我々人間を怪物に導いている。人は誰しも怪物になる瞬間があり、その怪物になる時は常に無自覚だ。逆に言い換えると明らかに怪物に見える人間にも、その人なりの事情や人間性が見えてくることもある。明らかにまともな人間ではない校長に名言チックなことを言わせていたのもそういった意図だろうか?尺の都合もあるだろうが、星川父の裏側や背景を全く描かなかったのは"敢えて"だと思う。

3部構成の最初は母親視点。明らかに不穏な息子の様子。虐められているとしか考えられない描写。問い詰めると出てくるのは担任の名前。明らかにおかしい学校側の対応。あの場面は完全にコメディだった。母親視点での担任はどう考えてもクズで、子どもを預かっていいような人間ではない、となると次の視点はその担任となる。

先生には彼女がいて不器用ながらも職務は全うしている。学校という閉塞感を描く作品は今まで数多く見てきたが"職員室"の閉塞感・陰湿さを上手く描いてたのは完全に見事だった。自分も教職員の経験があるので、あの地獄の空間は本当によく理解できる。もはや当たり前ではあるが、担任とはいえ全ての虐めを止めることはできないし、人間関係を把握することすらも時に難しい。子どもたちは大人が思ってる以上に賢いのだ。そんな不器用な担任は学校のために切り捨てられる。学校は権威主義でそこからはみ出た者の居場所はない。スクールカーストより教員同士の関係の方がドロドロしてることは稀ではないのだ。

3つ目、ついに子供たちの視点。ここまでの湊はもう明らかに普通の子どもではない。が、ここに来てようやく素直で流されやすい思春期真っ只中の普通の子であることが分かる。自分の気持ちも受け入れられないし、スクールカーストに従っていじめをしようと思ってもそれは自分の本意ではない。いじめられた星川を助けようと思っても素直にはできない。絡んでくる担任も嫌いではないが、自分を守るためなら嘘をついて犠牲にする。この狡賢さと未熟さが年相応で誰しもが"これ"に近い感情を持ったことがあるんじゃなかろうか。

1部→2部→3部と進むにつれて、ある種の違和感をばら撒く。その一つ一つ丁寧に回収しながら、別の展開を進めていく。同性愛、差別、虐め、虐待、ハラスメント、隠蔽、失踪、様々な要素を絡めながらどれも置き去りにすることなく纏め上げた手腕は見事。音楽との調和も凄まじく、ラストシーンは2人が楽しそうに笑顔で森の中を駆け抜ける場面で終わる。全てから解放されたような、あの安らかなシーンが何を物語ってるのかは受け手に託されている。自分が見逃してるポイントもあるかもしれないので、また細かく見てみよう。
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