ねてぃ

怪物のねてぃのネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

※堀先生のこと原先生だと思って書いてます。もう書き換えるの嫌なのでこのままにしてます。すみません。


演技がすごいというより、普通に生きてる人たちみたいだった。
終わった時呆気に取られてエンディングはずっと色々考えてた。

考え整理用に垂れ流しメモを記録します^_^

▶︎ラストシーンについて
最後のシーン、二人はきっと死んでいるよね…?
「生き変わりなんてない」という結論は自分たちは自分たちのままでいいんだってことだと思った。
死んでしまったけど、幸せなんじゃないかなって思った。

でも劇中校長が言っていた「幸せは誰でも手に入れることができるもの、誰か一人が手に入れられるものじゃない」ていう考え方に則れば、二人の死は幸せじゃない不幸な出来事になってしまうんだな。

「私や大切な人が幸せならそれでいい」という個人主義的な幸福観を「この幸せはきっと周りの幸せの価値観と同じである」という考えと結びつけてしまう。それがどこかで誰かを傷つける。もし一般的に言われる「幸せ」を「相手も持っているもの」だと疑わずに、自分たちの共通認識だとしてしまうことが、誰かを知らず知らずのうちに傷つけ否定してしまっていたとしたら?…

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▶︎
男の子が好き、母さんの言う普通の家庭なんて築けない、自分はお父さんみたいになれない…

自分はどうして生まれたんだろう?生き変われるとしたら…

そう考えようになるまで、「普通」に対する「価値観」の押さえつけがたくさん起きていて、きっと見ている自分でも気づいていないことがあるんだろう。

優しい母さんの言葉も
優しい先生の言葉も
いじめっこ同級生の言葉も
友達の父さんの言葉も

石垣みたいに少しずつ重なっていって、
それら全てと繋がっていた「蜘蛛の巣の中心」の少年は言葉にできない自己嫌悪に蝕まれていった、というような感じだった。


▶︎周縁の人々?
母さんや先生、校長やみなとくんゆりくんが「怪物っぽい人たち」だったとしたら、劇中名前が当てられていなかった人たち(主要な登場人物「意外」)は「無自覚な怪物たち」だったと思ってる。

原先生はキャバクラに行てたらしい/原先生は生徒を殴ってた/シングルの親は過保護だ/子どもはどうせ小学校の先生なんて覚えてないんだから適当でいいんだよ/「病気」は治さなきゃいけない/お前たちラブラブかよ!/お孫さん引いたのは実は校長なんじゃないかって/猫を殺してるのをみました/原センに突き落とされたんだ…

何も知らない人たちが、さも知っているかのように、実際に見たかのように、これが世間の声だと言わんばかりに、事実と違うことを言って、自分はなんの責任も負わない。

あ〜、これって私たちじゃないか〜…芸能人の噂話、教授の授業の愚痴、離れて暮らす親に偉そうなアドバイスを言ったり、店員さんに愛想悪く接してわがままな態度をとって…

校長の言う「みんなが手に入れられるものが幸せ」って、みんな(世間)が楽しめることが「幸せ」なことで、その犠牲になる人たちがいるんだってことを意味してたんじゃないかなとか思ったりもした。

周縁にいた人たちを自分自身の鏡として見ることで、自分の無自覚な怪物の部分に気づけるようになるんじゃないかと思う。

▶︎よく分からなかったこと
①校長について、最終的に実際彼女は孫を殺したのか否かはわからないし、子どもに足をかけてこけさせた(ように見えた)描写の真相も明らかになっていない。
船の折り紙…なんで…?

②原センは「麦野!お前は間違ってないよ!ごめん!」って謝ってたけど、二人の作文からどこまで読み取ったのか?虐待のことや放火のことは結局原センは分かっていないままだった?作文「品種改良」にはどんなことが書かれていた?

レイトショーで見たし家まで歩いたのできつい。ここまでにします!

※ちょっと追記
「悪い人」「良い人」ってなんだろね。善悪なんて結局誰から見るかによって違うんだよね。
同じ人でも悪役的要素も良い人的要素も孕んでいたりする。どっちも持ってる。一つの宝石でも反射の仕方が違うだけで輝きが違うのと同じようなもの。

今回かなり悪的な要素の強かった校長をどう見るのか?私は考えなければならない。



話の展開に必要なのは、物語における「役割」であってそれを誰が担うのかは重要ではないと考える物語論と似ている気もするんだけど、一人の人間も色んな役割を演じてるんだよなあって改めて思った。多分これは作品の主題と外れてるんだけども。
ねてぃ

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