この映画はすべては語られない。
羅生門方式で、順番に各登場人物の視点が語られて、ある程度の全容が明らかになるが、
語られない部分もかなりある。
隣で過ごす人がどんなことで傷ついてきたか把握することは難しい。
全ての真実を知ることは難しい。
そのことをキーポイントとしながら、
登場人物たちが些細な言葉で相手を傷つけ、
また誤解を生んでいく様を描いている本作。
まさに全てを語られない演出はこのことを体現している。
特に子どもと大人に関しては大いにこのことが起こる。
子どもたちには子どもたちにしか知らない世界がある。
私も小学生の頃、クラスが荒れていて、
荒れている友達の荒れている理由も、
一緒に過ごしてきている僕たちはなんとなくわかっていたが、
教師や親はなかなか理解できず、
問題児として扱っていた。
この見えない部分があることで、お互いの溝がより深まり、
関係が悪化していく。
そして、子どもはより傷つきやすく、
まだ物事の良し悪しが判断できないからこそ、
この関係の悪化がより深くなることを
この映画は語る。
なかなか自分のことを発さない日本人らしいテーマの映画。
自分の中に眠る悪気のない怪物、コントロールできない気持ちから出てくる怪物。
劇中行われるゲームのように怪物の正体は自分ではわからない。
ひとつひとつの言動が怪物を生んでいく。
その言動に気付けるかどうか観客も試される構造になっている。