Shoki1812

怪物のShoki1812のネタバレレビュー・内容・結末

怪物(2023年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

色々感じたことの整理
① 自然の映像美
 ストーリーの内容と相反するような映像美に惹かれた。炎(タイトル)、所々に挿入される湖(特に子供2人が遊具に上る場面)、青空(学校の屋上の先生)など、起きている事象と対照的な、突き抜けるように美しい自然が写される。一方、部屋や学校は雑多で暗いイメージで描かれる。どのような残酷な世界であっても、自然だけは変わらない、美しいものは周りにあるのだという前向きな気持ちと、「この話を見ていて自然を美しいと思う自分の感性は”普通”なのか?」という気持ちにさせられた。

② 「残酷な世の中」の描写の上手さ
 子供の世界にありがちな無邪気な悪意の描写、ちょっとした噂・嘘が善意も巻き込んで物事をおかしくしていく描写には、「こういうことあるよな」という強い共感をもたらす上手さがあったと思う。

③ 「分かりやすさ」を求める自分への気付き
 母親視点が終わり、先生視点が始まってすぐに「こういう展開か、もうやめてくれ」と思ってしまう自分がいた。これは分かりやすい勧善懲悪の物語ではなく、それぞれの視点から全く違う見え方がする残酷な物語なのだと気づかされた途端、分かりやすく優しいストーリーを求める自分の性質が、本能的にしんどさを感じたのだと思う。
 世の中の汚い部分・残酷な部分はなるべく見たくないし、自分の見える範囲で楽しくくだらなく生きていたいという想いは持ち続けたいが、それでけでいいの?と問われた気持ち。

④ クィアの描き方
 クィアという主題は昨今では重く捉えられがち。だからこそ、この作品ではあえて曖昧な描き方をしたと感じた。クィアの映画という捉えられ方をしたくなかったのだろうし、もっと一般的な主題があるのだろう。
 また、批評家の方が「最後のシーンの解釈は大きく2つあるが、死という結末を想起させる以上、クィアの描き方としては一時代古い」と書いていた。確かに、最近の外国映画では誰しも個人として生きていくという描かれ方が多いので、映画界の潮流からは遅れているのかも。ただ、少年2人は決して社会の中で受け入れられたのではなく、2人の世界で生きたいと思っただけという印象を受けた。
 クィアの描き方の曖昧さ、また少年2人の描き方どちらも、今の日本社会においてリアルかつ受け入れられる、ぎりぎりのところだったのではないか。
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