柊

「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たちの柊のレビュー・感想・評価

4.0
観終わっているのになかなか感想書く事ができなかった。
思う事もたくさんある…けれど言葉にしてしまうとなんかチャチな感想になってしまう。
そんな事考えながらのこの数日。

法の裁きとは何か?
人は何の為に法廷で争うとするのか。もちろん一言では言い表せない。

でもこの裁判を起こした側は、ただひたすら我が子が死んだ何故?を知りたかったからなのだと思う。もちろんあの震災で亡くなった人達はあまりにも多い。自然災害の前で人の命がこんなにもあっけない事をまざまざと見せつけられた。
それでも何故一つの集団でこんなにも犠牲が多かったのか?
人は誰でもどこかで物事を良い方に考えてしまう。予想を超える津波など来ない、きっとみんなで裏山に逃れているはず。でもその希望は真逆の結果を生む。
生と死の境は紙一重。あの時こうしていればは通じない。だから生き残った関係者の苦悩は計り知れないのだろう。

多くの犠牲者の保護者も誰かを断罪する為に起こした裁判ではなく、何故の答えを見つけたかったから。被告側の不誠実は言わずもがな。むしろここまでの災害においても責任逃れをしようとする大人って?と疑問が湧き立つ。…がしかしだ未曾有の災害に於いて、犠牲を最小限にとどめるには平時の備えが何よりも大切。今回はそれらを怠ったが故の大惨事である。それが小学校という現場で起こってしまった悲劇なのだ。と言う結論。

どこの組織にも通じる判決であり、あの震災の大切な教訓であると思う。自然災害の多い日本列島に住む我々は普段の備えを怠ると取り返しのつかない惨事を招くとという事を肝に銘じる必要がある。

でも前半の生き延びた先生と保護者の説明会は目も当てられない。人間の醜さ傲慢さが垣間見えていたたまれない。怒りにまかせての怒号、発言をやじり揚げ足を取る人。それらを必死に宥めようとする人。そんな修羅場でありながら、前の机に並んだ教育委員会及び校長らのあまり誠意の感じられない姿。裁判を起こさざるをえない判断に至った原因はここにある事を関係者はよく理解しなければならない。
でも怒りに任せた怒号も聞き捨てならない。そんな複雑な思いに包まれてしまう。

最後に人間関係と言う保護者がいらしたが、私はちょっとそれは納得できない。叱られるかもしれないけれど人の命を左右する時に…それは無いと思ってしまう。人間関係が原因で,山に逃げようと言った教員の意見に耳を傾けられなかったなんて…ここのところがうまく自分でも表現できなくて上記の言い方が適切ではないけれど…

まぁ消化不良でもあります。
柊