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セブンティーンのCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

セブンティーン(2017年製作の映画)
3.2
【学校は全てが可視化される空間だ】
12/10(土)に菊川にできた映画館Strangerで企画「Gucchi’s Free School × DVD&動画配信でーた 現代未公開映画特集」が行われる。そこで上映される『セブンティーン』をトークショーする関係で一足早く鑑賞しました↓
https://stranger.jp/information/event/595/

この特集では、他にも『リングワ・フランカ』、『ストレンジ・リトル・キャット』が上映される。3作品異なる「部屋」の魅せ方をしているところに注目していただきたい。『リングワ・フランカ』の場合、陽光が差し込んでいても顔が視認できないような翳りを漂わせる空間を作り上げている。『ストレンジ・リトル・キャット』の場合は、陽光差し込む空間の中に家族や動物をたくさん投入し、一見親密な空間に見えるが、キャッチボールにもドッジボールにもならない言葉の球が散乱する冷たい空間が紡がれる。では『セブンティーン』はどうだろうか?本作はとにかく、空間が明るいのが特徴だ。ナイトクラブのシーンですら登場人物の顔がハッキリと映るようにライティングを調整している。この演出は何を指し示しているのだろうか?

それは「独特な学校空間」であろう。学生時代を思い返してほしい。クラスメイトは常に、Aさんが誰と付き合っているのか?誰と仲が悪いのかを気にしている。そして噂が飛び交う。隠し事ができないように監視の目が張り巡らされていたであろう。全てが明らかにされてしまう状況の表象として登場人物の顔がハッキリ視認できる空間を作っているといえる。そんな空間に身を投じると不安が現出することもある。例えば、教室に入ってくるクラスメイトに対して、嫌らしい目つきで自分を見つめる像を重ねてしまう場面がある。それは「回想」として異なる質感で描くことはせず、現実空間と等価なものとして映し出される。つまり、登場人物にとって「不安」から来るイメージは「現実」なのである。そんな状況をパウラ(エリザベス・ワビシュ)、シャルロッテ(アナエル・デジー)、ミカエル(Leo Plankensteiner)、そしてティム(Alexander Wychodil)の複雑に絡み合四角関係で紡ぎ出す作品であった。
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