SANKOU

せかいのおきくのSANKOUのネタバレレビュー・内容・結末

せかいのおきく(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

料理を題材にした映画は数多くあるし、どの映画でも食事のシーンはあるだろうが、糞を題材にした映画、そして排泄シーンを描いた映画はこれまで観たことがなかった。
当たり前だが口からものを食べれば必ず尻から出てくる。
そんな当たり前のことが何故か映画の世界では忘れられているのが不思議だった。
が、確かに排泄物の映画などほとんどの人が観たくはないだろう。
しかしほとんどの人が見たくはない排泄物を処理してくれる人がいなけければ、この世界は汚物だらけになってしまう。
これは江戸の汚穢屋(おわいや)と呼ばれる糞を買い取って生活する若者の物語。
誰もがやりたがらない仕事でも、誰かがやらなければこの世界は成り立たない。
しかし悲しいかな、そうしたやりたがらない仕事をやる人ほど、世間から差別されてしまうものだ。
いくら臭い、汚いと罵られても、これが食い扶持なのだと割りきって逞しく生きる矢亮と中次の姿に心を動かされる。
この映画を観て、江戸の街は現代よりもずっと汚物の臭いが漂っていたんだなと思った。
清潔な生活に慣れてしまった現代人にはおそらく想像出来ないほど不衛生な世界だっただろうが、手で汚物を丁寧に掬う矢亮の姿を見て言い様のない感動を覚えるのも確かだった。
現代人はどんどん見たくないものを遠ざけているように感じるが、果たしてそれが正しい生き方なのかどうかは分からない。
さてこの映画のタイトルにも入っている世界という言葉だが、この時代の日本人には馴染みのない言葉だった。
当然、鎖国をしている日本で、庶民が外の世界に想像を向けることはかなり難しいことだったろう。
この世界という言葉を中次に教えるのが元武士の身分の源兵衛だが、彼はこの言葉を口にした直後に古い侍の時代の因縁によって命を落とす。
そして彼の娘のおきくも喉に傷を負い、言葉を失う。
おきくは一目見た時から中次に恋心を抱く。
そしてそれは中次も同じだったが、身分があまりにも違い過ぎるために彼は自分の想いを告げることが出来ない。
これは生まれた瞬間に生き方が決まってしまう時代の物語でもあるのだ。
学さえあれば、もっと広い世の中へ出ていくことが出来る。
矢亮も中次も底辺の生活を送りながらも、いつか文字を習って広い世の中へ飛び出してやるという野心を持っている。
だから確かに矢亮はへりくだってばかりだし、中次もおきくの為に何もしてあげることが出来ない無力な人間だが、彼らの姿に悲壮感はない。
そしておきくも言葉は失ったが、中次を想うことで前へと進んでいく。
おきくが中次に身振り手振りで想いを伝える場面は感動的だ。
今よりもずっと不便な時代の物語だが、不便だからこそ一人一人が生きることを大切にしていたのだろうと感じもした。
基本的にモノクロの映画で、それがとても効果的であるが、ところどころにカラーの場面が差し挟まれる。
おきくの桃色の着物姿の鮮やかさがとても印象に残った。
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