三四郎

Chin Up, Johannes(英題)の三四郎のレビュー・感想・評価

Chin Up, Johannes(英題)(1941年製作の映画)
4.5
タイトルの「元気を出せ、ヨハネス!」の通り、ヨハネス少年の青春成長物語。
叔母ユリエッタ役のドロテア・ヴィークがギリシア彫刻の如く美しい!その冷たい大理石のような気高い美しさに陶酔せずにはいられない!
ドロテアのクロースアップ多用は嬉しい限り笑

親ナチのプロパガンダ映画に出演することを拒否し、大戦中のドイツ映画界において窓際に追いやられたドロテア・ヴィークとアルブレヒト・シェーンハルスの二人がヨハネス少年の叔母役と父親役をそれぞれ演じていることも興味深いが、更におもしろいのは、国民啓蒙・宣伝大臣のゲッベルスが、プロパガンダ映画であるはずのこの作品を気に入らず、「上映することはできない駄作」と明確に否定したということ。

日本で例えるなら、「決戦の大空へ」(東宝1943)、そして「海軍」(松竹1943)のような国策映画で、家族愛、友情、恩師との出会いにより成長する思春期の少年を描いた作品と言える。

エリート軍人養成機関ナポラにおいて、少年たちが「Erika(エーリカ)」の口笛を吹きながら靴磨きしているシーンが呑気で良い。そして、ヨハネスが行進曲を作曲するという筋がまた音楽の国ドイツらしくて良い。

ハーケンクロイツの旗がはためいていなければ、至極真面目でまともな映画だと思う。

※キネマ旬報(722)1940-07
「ヨーロッパから」にて『悄気るなヨハネス』として紹介

【映画の内容】
フォン・レデル家(貴族階級)は、10年前から、父と母子が離れて暮らしている。母親と息子のヨハネスはアルゼンチンで外国生活をしているドイツ人で、父親はベルリン近郊の荘園主。ヨハネスは、アルゼンチンで母親との気楽な暮らしの中で育つ。母親の突然の死後、妹ユリエッタ (叔母)は姉の最後の願いを叶える為、15歳になるヨハネスをドイツの父のもとに連れて帰る。
しかし、ヨハネスは、両親の別居の理由にもなった父親の厳格さに難色を示し、新しい環境に拒絶反応を示す。彼は、ユリエッタに、一緒にアルゼンチンへ帰りたいと言う。

そんな時、ヨハネスは近所の子供たちと喧嘩し、ヴィルヘルムが爆竹でヨハネスを脅かそうとしたことから畑の藁に火がつき、火事になる。ヨハネスはアルゼンチンに送り返されることを望み罪をかぶる。しかし、ヨハネスの仕業ではないことがわかる。
パンセ神父は事実をヨハネスの父親に話し、この罰として息子のヴィルヘルムをエリート軍人養成機関ナポラ(日本で言う「陸軍幼年学校」だが、ギムナジウムと同様に、卒業生には大学入学資格が与えられ職業選択の自由が認められている)に行かせないようにしようと考える。神父は、代わりにヨハネスを送ることをヨハネスの父親に勧める。

しかし、ナポラでもヨハネスは馴染めない。ただ、アンゲルマン博士だけが、ヨハネスの音楽への情熱を見出し、やがては、ヨハネスに新しい国家社会主義ドイツの価値体系を教えることができると信じている。ナポラでも問題を起こすが、ヨハネスが作曲した行進曲はナポラの教官たちを納得させ、ナポラの賛歌となる。

そんな時、叔母ユリエッタとアルゼンチン人の後見人ドン・ペドロの訪問を受け、アルゼンチンに戻るよう説得されるが、ヨハネスはこれを拒否する。

その後もヨハネスは壁にぶち当たりながら成長し、夏の演習では、軍事的な戦術家としての能力を証明する。ご褒美にナイフを贈られ、代表として誓約書を読み上げる。

そして、叔母ユリエッタにより心を開いた父親は、ヨハネスの休暇を心待ちにし、ヨハネスの休暇中にようやく父と息子は打ち解けることができる。
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