「あたくしだって青春時代がございました」
これは胸に突き刺さる。
女学生たちの生活、行動を厳しく監視して、自由を許さない舎監。冷たい美貌に冷笑を浮かべている、そんな冷酷さが似合う高峰三枝子に言わせるからこそ、この科白は深い。彼女の過去にいったい何があったのか…と思わせる。
2時間以上の長い長い映画だが、流れがあり、日本映画とは思えぬスピードで進み、見る者を飽きさせない。すごいなぁ、木下恵介監督。黒澤明監督の映画をあまり観たことがないが、当時のキネマ旬報ベストテンが示している通り、日本映画としては木下監督の方が偉大であるように思える。
この映画は、女学生、教師、学園を軸にして、戦後の日本社会に問題を提起し、国民に「共に考えよ」と訴えている。社会的弱者の側に立つが、反共産主義。そして再軍備化反対。久我美子が再軍備化問題について触れているシーンは、背筋に冷たいものが走った…。
「再軍備化は必要ではないか。現代の移りゆく、変わりゆく世界の中で、いつまでもアメリカの言いなり、あるいは負んぶに抱っこでは、この先どうなるかわからない。あまりにも戦後の日本、日本人は平和ボケしてしまい現実を見誤っているのではないか」高等教育を受け、少しでも日本の未来を考えたことのある学生はそう考えていると思う(違うかな?)。
しかし、「再軍備化したのち、アジア・太平洋戦争前、戦時中の日本のように軍隊、軍人がのさばるようなことがあってはならない…軍部と手を組み、裏で暗躍するのはいつだって資本家や政治家ではないか…」と恐ろしくなった。
現代の若者である私たちが見て考えるべき映画だ。
高峰秀子と高峰三枝子がある意味主演ということになるだろうが、久我美子と高峰三枝子の名演技により、この映画は成立したと言える。クライマックスのこの二人の科白と迫力は忘れ得ぬ名シーンだ。