私はこーへ

君たちはどう生きるかの私はこーへのレビュー・感想・評価

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.7
宮崎駿の引退撤回作。『風立ちぬ』が宮崎駿の原体験、自分の人生に基づいたお話だとすれば、今作は宮崎駿本人の人生というよりはジブリと共に歩んできた人生の総括、創作の総括のようなもの。観るジブリパークといった印象で、ジブリのモチーフがこれでもかと詰め込まれているし、そのモチーフがたとえ無かったとしてもアニメーションの動かし方だけで「これがジブリだ!」と鑑賞中ずっと感じることができる。「私はジブリをみている!」を感じるだけでも充分観る価値がある作品であるとまず最初に思う。話の展開は端的に言えば『不思議の国のアリス』だと思う。主人公の少年は戦時中、母が空襲で死に疎開すると、そこには既に後妻がおり(しかも母の妹!)、お腹に手を当てて「弟がいるのよ?」と言われる。慣れない土地での生活と再婚、そして弟が生まれると言う事実(弟が生まれるというだけで子供は癇癪を起こすというのに)から、少年が父にもこの叔母にも違和感と疎外感を感じるのは必至だろう。その心情が世界にも現れ始めファンタジーの扉が開くと考えるのが自然だ。ここでジブリ映画がすごいのはこの嫌悪感を大人の理屈は一切省いて少年の理屈だけで描き切ってしまえる所だ。夜に目覚め、父が帰宅しこの新しい妻とキスしている所を偶然観てしまうシーンは、子供の頃の理由は分からないけど両親が喧嘩やヒソヒソと話している場面を目撃し、自分が悪いわけでもないのになぜだが後ろめたい気持ちが芽生える子供の心情の機微をしっかりと映し出している。ポスターにもなっている青鷺が話し始め、塔があちらとこちらの世界の橋渡しとなる存在であることが開示されると、前半はゆっくりとこの少年の息が詰まる感情を表現していたのとは一変し、物語は急速にラストまで突き進んでいく。そのきっかけとなるのが亡き母が自分宛に残してくれたメッセージが書き記してあるタイトルにもなっている「君たちはどう生きるか」の小説を読む場面だ。ここで大切なのは、この映画が冒険を通しての成長譚ではなく、この本を読んだ時に既に少年は成長し、この今いる(戦争の最中である)世界を生きようと決意している所にある。だからこそ、ファンタジー世界に突っ込んでから思い悩むことは一度もなかった。まっくろくろすけのようなわらわらやオームがいる世界を冒険し、死んだものたち(舟)とこれから生まれ来る物たち(わらわら)、そして植物と人間以外の動物たちと交流し、命を知る(ジブリの根幹となるテーマだ)。そして、わらわらを救い、自身の冒険を邪魔する鳥達を一蹴する存在として自分の母親の少女時代であるヒミがヒロインとして登場する。その母親と冒険を共にし、叔母の呪詛のような本心を聞いた上で叔母を「お母さん」と認め叫ぶという、とんでもないストーリー。やはり、少年はもう既に成長しきっている。そして、最後に核心となる大叔父との会話パートに入る。大叔父はこの世界の様々な世界線を束ねる均衡と交通を取り持つ役割を担っているらしく、積み木が崩れないように管理する人物が必要でそれを継いで欲しいという。「積み木を一つ加えるだけ」という表現は、人のできることのちっぽけさを表現していていいなと思った。大叔父は世界をできるだけ大きくみて、少しずつでも世界を直接に手触りを持って動かし良くしていくことを志向しているのだと思う(思想で世界を変えるというのはこのような方向だ)。しかし主人公はどの世界線にでも片道切符ではあるが飛び込める場で、母が死に戦争中に疎開しているこの世界を既に選び取っている。この今までいた世界で引き続き生きていくことを“良く生きることだ”と決めている。あくまで主人公のイマジナリーな世界であると考えるならば、ヒミ(母)と抱き合い会話し、叔母との確執を解消させたのならばこの世界は滅びるしかない。だからこそ、唐突にこの世界は崩壊し、ヒミ(母)はこの少年が自分の子供となり、そして自分は生を全う出来ずに死んでしまう世界へ、少年は母がもういない世界へと躊躇なく別れ、もう戻ることのできない扉を開いた。「君たちはどう生きるか」の問いにどう答えていたか?と言われれば、この戦争があり、自分ではどうすることもできない「現実に帰れ」(シンエヴァ印)ということだろう。更に言うならば、「現実こそがここが私が存在する現実なのだと決定してくれる」ということだ。全ての現実が温度なく書き連ねてあるアカシックレコードよりも母親が「君たちはどう生きるか」に記したメッセージの方が私にとっては現実なのだ。だから、主人公は生まれた弟と共に母である叔母と東京で暮らす。

色んな感想を眺めていて少しだけ付け足したくなった。どの考察もどの思惑もすり抜けてしまう正解の無さがある(そしてまたある程度どの視点も正解である)。場面によってモチーフやメタファーもその都度変容しているからだと思うし、制御する気がない。それがこの映画の1番凄いところなのだと思う。陳腐な言葉になるが「アート」足りえている。
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