このレビューはネタバレを含みます
圧倒されて、感想を書くのがためらわれた。しかし寝て、次の日になると思考の整理がついてきたように思えるので、ぽつぽつ自分が思ったことを書こうと思う。
たんなるファンタジー作品ではなくて、生命への慈しみや死生観、善意と悪意、運命に翻弄される人々、そして過去という抗えない時の流れから、現在と未来を生きる人々すべてにフィクションの枠を超えて「あなたはどう生きますか」と問いかけてくる作品だった。
塔を巡る地上と地下の世界というのは江戸川乱歩著『幽霊塔』を彷彿とさせる。宮崎監督がカラー口絵や解説を書いている版があるが、監督自身非常に影響を受けた本だという。今作はそこから想像力の羽を広げ、地下世界を混沌とした場所ーこれから生まれようとする生命を送り出す場所であったり、今現在の世界の均衡を保つ場所ーとして描いている。そこに監督の死生観や宗教観が見て取れた。
これから生まれようとする生命たち。白くてまるい、小さきものたち。それらが上へ上へ飛ぼうとする。眞人は頑張れという。するとペリカンの群れがやってきて小さきものたちを食う。ペリカンたちは炎によって撃退されるが、彼らは食わないと生きていけないのだった。眞人は撃退され息絶えたペリカンを弔う。素晴らしい場面だった。生命が平等であること、他の命を奪わずに生きられないという業、その業を非難するのではなく向き合って尊重すること。宮崎監督はそういうテーマとずっと向き合ってきたんだと思う。だから今作でも最後、人間たちを食べようとしたインコを空に羽ばたかせたのだ。生命への深い慈しみを感じる。
夏子の怒り。鑑賞中はケガレとしての出産に立ち会うことに怒っているのだと考えていた。またそのような立ち合いは「禁忌を冒すこと」というセリフがあるように、ケガレの意図があると思うのだが、夏子の怒りはそれだけでは捉えきれないと思った。夏子は何に怒っていたのか。それは眞人と、彼の父にである。夏子は本心で彼らを拒絶しており、ゆえに現実世界に帰りたくなかったのだ。彼女は死んだ姉の後を継ぐ形で眞人の父と結婚しなければならなかった。血縁関係から、子どもを産むための宿にならねばならなかった。彼女は本心で、眞人と彼の父を拒んでいた。家のために母にならなければならなかっただけだ。たとえば繰り返される「夏子さんは、父さんの好きな人だよ」という眞人のセリフには、夏子が父さんのことを好きなのかは分からないということが暗示されている。
墓の前に立つ金の門(我を学ぶものは死す)は、孔子の「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」を意味すると思う。真理としての死であり、真理を知ることができないという人間の知の限界を示しているのだと思う。
かきかけ
抗えない時の流れ。時間というものが未分化の世界からそれぞれの現実に戻らなければならない。眞人は少女だった頃の母と別れなければならない。残酷で悲しいけれど仕方のないことで、素晴らしい場面だった。私たちは死者に会えない。ただそれぞれの時代の中を生きねばならない。永遠に会えない人にもう一度会いたい。それでも現在を生きるしかない。
またキリコさんの若い頃を描くなど、人を現在だけでなく、積み重ねてきた過去のある存在と捉えているのが白眉だった。
死者を乗せる 軍艦と母
つみき 悪意の傷跡
私たちが積み上げなくちゃならない
ラストシーン、塔の崩壊は物語の終わりを意味する。フィクションは終わらなければならない。眞人は渡されたお守りの効果で自分が体験したことを覚えている。でもアオサギは「どうせすぐに忘れるさ」と言う。このやり取りは、宮崎監督がアニメを作り観客が見て、見終わった後も観客の人生が続き、観客が生きなければならないことへのメタファーである。映画どうでした。でもそれはすぐに忘れられるものです。あなたたちは現実の人生を歩まなければなりません。これからあなたたちはどう生きますか。宮崎監督はフィクションの枠を超えて観客に問いを残した。『ホーリーマウンテン』や『桜桃の味』のラストを思い出す。しかし前述の作品のような唐突感は全くなくて、自然に調和している点が素晴らしかった。
アニメについて、今までのジブリ作品は均整の取れた動きという印象を受けるのだが、今作は全体的にぐにゃぐにゃ自由に動いていた。たとえばおばあちゃんたちが荷物を漁るシーンとかね。あとは冒頭の火事のシーンの作画♫絵がうますぎて冒頭から泣いた
追記
私たちはそれぞれの時を生きなければならない、だからこそ時の流れは残酷で、そして希望があり、時を越えるという叶わない夢を見てしまう
会うことができない自分の大切な人を思い出して泣いてしまう