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君たちはどう生きるかのmarioのネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

勝手な解釈、ご容赦ください。

さして場面設定の説明があるわけでもなく、理解の至らないままファンタジックな情景が展開されていきます。「自分ではない誰か」の自問自答が、怒涛のように頭に流し込まれる感覚に近かったように思います。第三者の理解を目的としない独白なので、前提条件の確認や解釈などは、描く必要性がなかったのかなと。


ある日老人の住む世界に塔が降ってきました。老人は塔を尊いもののように思い、大事に囲い、惹き込まれ、閉じ籠もり、塔の中に老人の世界を創造しました。
塔は、老人にとって、初めは天啓のようなものだったのでしょうが、気付かないうちに、牢獄にもなっていたように思います。

塔の中には、我々よりも大きな存在である石(意思?)がありました。石は老人に、悪意のない世界を作るため、積み木を積み、バランスを取り続けるよう使命を与えました。
積み木は、いつの間にか墓石(死にかけた意思の隠喩?)になってしまっていましたが、老人は強迫観念に駆られたように独り机に向かい、積み木のバランスを取り続けました。そうして、自分の命が尽きる前に後継者を見つけなければと、焦りを滲ませていました。

老人の創造した世界が崩壊するとき、ただ消費するだけのもの、意思の継承を拒否するもの、積み木を破壊するもの、それら全てが老人の世界から飛び出していきました。老人は、彼らを否定することもなく、自身が創り上げた世界とともに消えてなくなりました。

本作が、数多くの考察サイトに書かれているように、宮崎駿監督を取り巻く現実と虚構の世界そのものであると考えると、塔は監督にとっての「才能」であり、石は「使命感」や「運命」のようなものと言えるのではないでしょうか。

才能を与えられた者は、より良い精神世界のために作品を生み出し続けなければならないのだと感じてこられたのでしょうか。追われるように机に向かってこられたのでしょうか。
劇中からは、そのような使命感と孤独、継承し得る者たちへの期待感と諦めが垣間見えたように思いました。ただし、諦めとは言っても、そこに悲壮感はなく、自分はやるだけやった、後は野となれ山となれ、あわよくば花が咲けば結構、といった解放感に近いもののようにも感じられました。

幼少期から、監督が創った世界観に触れてきました。それは確かに私の世界の一部にもなっていますが、決してファンタジーなど起こらないこの現実世界で、どう生きるか、選択権は常に自分のもとにあります。
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