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君たちはどう生きるかのtubure400のネタバレレビュー・内容・結末

君たちはどう生きるか(2023年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

作家が、いかにも晩年に作りそうな作品だと思った。きれいなストーリーラインとか、わかりやすいメッセージ性などを排して、何かしら、情念のほとばしりのようなものがあって、深く心に残る作品だと思った。あまり「解釈」的なものを読みたくないのも、あまり言葉にしすぎると、野暮になってしまうような気がするからかもしれない。

村上春樹の「井戸」の仕掛けのようなものとして、大叔父の「庭の塔」がある。「庭の塔」を抜けて、主人公が進むのは、「海辺のカフカ」とか、「街とその不確かな壁」のような、内面世界なのだろう。そこでは死と生が曖昧であり、その案内人としてアオサギや、キリコがいる。アオサギが、全編を通して今ひとつキャラクターがつかめないのだけれども、主人公をそこに執拗に(不気味なほどに)誘い続ける理由は良くわからない。キリコを含めて、不気味にも愛らしくも描かれる老婆たちの役割ももう一つ分からない。

火事で母親を亡くしたことが心の傷になっている少年が、内面世界の旅をする(義理の母を救うために)のを通じて、自分をも救うということ。主人公がどこまでもジブリ的に凛としているのが愛らしい。

大叔父、大叔父が操る積み木はなんのメタファーなのか、ということを思うと、内面世界の均衡ということなのだろうか、と思った。大叔父はたくさんの本を読むことで、内面世界に閉じこもった人だ。そこではたくさんの生命が息づいていて、輪廻のようなものさえあり、大叔父のコントロールを越えて鳥たちが進化し、ある種、独自の円環をなしている。大叔父は何度も主人公に「世界の引き継ぎ」を呈示するが、主人公はけしてそれを受け入れようとしない。「それは墓石と一緒だ、根底に悪意があります」まるで三島由紀夫の小説のようなセリフだと思った。なんとか内面世界の秩序を保とうとするインコの王様のみじめなあがき。それでも最後にはみな、現実の世界で戯れる。

ラストシーンの近く、背景がなくなって、アオサギと主人公が二人で話すシーンがひどく感動的で、でも意味は分からなくて、不思議と涙が止まらなかった。ここには「意味」がないかわりに、「イメージの強さ」だけがある、ということを思った。そういう風に生きるということ。
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