私が死んだとき、棺桶はぬいぐるみいっぱいにしてほしいなあなどと最近思っていたので、その最期が一体わたしにとってどんな時なのか。どんな気持ちなのか、エンドロールを見ながら考えていた。ウソ婚で、「知ってる? 死んだあとに見せられる箱の話。生きてる間びびったり、最初から諦めちゃったり、なまけたりで掴もうともしなかった、本当は手に入れられたはずのものが入った箱を、見せられるんだって。死んだあと」っていう台詞があった。私には何が残って、何が見えないんだろう。
作中、気づいたら涙がこぼれていた。何度も。ピアノの旋律と目に映る景色が、記憶の奥にある子どもの頃の田園風景や川のせせらぎ、そういう場所へ一気に連れて行ってくれる。手を引っ張って。何にもなくてもそれでよかった。それが今は情報の渦の中。それすら心地よいと思っている。それが生きるということで時を重ねた結果なのかもしれないけれど。なんだか少し寂しくて帰りたいと思った。こういう懐かしさがじんわり広がるジブリの作品が好きだ。経験するはずもない幻の世界でも、私もそこにいたんじゃないかと思わせてくれる。積み木やお守りを持っていないから忘れているだけで。
それは、心の中に夢で出会ったかもしれないあの塔が立っているからかもしれない。死と隣り合わせの世界で生きるということは、彼のいる時代と同じで。輪廻転生するその螺旋も奇跡なのだと。
誰しもの手に積み木が託されていて、それらを集めてどう構築するか。私たちの世界は私たちが作るのだ、と肩をぽんと叩かれたような気もした。