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ヒッチハイカーKAI:手斧のヒーロー、その光と影の都部のレビュー・感想・評価

3.2
問題ではなく問題の取り扱い方が興味深いドキュメンタリーだ。

本作はある暴行事件を手斧という凶器を用いる事で食い止めた男が祭り上げられた当時を巡るドキュメンタリーだが、このカイという男がどこか危うい存在であることは最初の映像の時点で十分に察せられる。それは人助けの為に用いられた過剰な暴力性が目に見えてるからだ。

が、それが世間映えする英雄的行為として取り上げられたことで、それに準じた輝かしい虚像がSNSを初めとしたメディアに形作られ、人工的なカリスマが産まれるという流れを、恐ろしい事に極々普遍的なものとして納得してしまうのが今も昔も同じ大衆の心情なのである。

(🇺🇸はかなり極端にこの傾向があるけれど、🇯🇵の『時の人』に対する扱い方も似たり寄ったりなので他人事ではない)

だからこそ次第に明らかになる虚像と実像の乖離が齎す、カイに向けられる他者からの身勝手な『期待外れだ』という反応の数々は、他人事ながら中々心苦しいものがあって非常に胃がキリキリする映画だった。

『彼の人生を変えたかった』

とインタビューを受ける関係者の多くは述べるが、そもそも勝手な期待を寄せて『思っていたような人と違ったから』と手放したのは彼等の方であり、素性を調べずに我先にと飛びつかれ祭り上げられたカイはやはり被害者であるように思える作りが一貫して続く。

これは本作が恣意的なそうした語りをしているからではなく、悪い意味でカイの人生を一変させたメディアに対する擁護的な切り取り方が目立つ作品であるから却ってそう見えるのだ。

メディアの危険な影響力に対して自己批判的な側面を持たないドキュメンタリーと書くと至らなさの指摘のようで、実際そういう所感を抱きもしたが、これが罷り通るヤバさが作品からひしひしと溢れ出している。

他者に対する過剰なアイコン/キャラクター化が産んだ悲劇のモデルケースとしては適切な題材であり、またその悲劇を過去の人/出来事として処理する世間のメディアリテラシーの低さが浮き彫りになる作品として空恐ろしさを感じさせる──もちろんカイを巡る事件とその末路を追う筋書きは面白いが、本作はそここそ作品の肝ではないかと言いたい。

またNetflixの証言者の主張のみを切り取るような造り手としての主観/主張を帯びないドキュメンタリーの作り方は、本作のような当事者不在の作品作りを行う際にかなり危うい作りになることを再認識させられて、そうした意味でも興味深い作品である。
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