【犬は覚えている】
久しぶりのブリリア鑑賞。
っていうか、長編、短編を含めても久しぶりかも(ミスチル以来?)。
年始のバタバタであっという間に10日も過ぎていましたね。
ついこの前「よいお年を~」なんて言ってたのに、早いもんだ・・・。
ということで、開明獣さん、62355cinemaさんの両先輩に追いつかんとばかりに、早速鑑賞しましたが・・・。
こんなもん、泣くに決っとりますわ。
もちろん犬を飼っている(あるいは飼った事がある)かどうかでも刺さり方に影響はあるかもしれませんが、とにかくこのワンコがいじらしいというか、可哀想というか、途中まで人間どもが鬼畜にすら見えてくるという親切設計のお陰で、尚更このワンコへの感情移入が止まらなくなる。
――虐待の末に飼育放棄をされた過去のせいで吠えることをやめてしまった一匹のミックス犬。
一方のロイジン(主人公の女の子)はひょんなこと(いや、当の本人にしたら相当なことだけど)から犬を飼うこととなり、動物管理センターにいたその犬と出会うこととなる。
彼女はその犬にオズと名前をつけ甲斐甲斐しく世話をする。
ちょっとずつロイジンとオズの距離も近づいていったころ、ロイジンは自身の家庭環境が自分の力ではどうにもならない修復不可能な状況にあることを知る・・・・。
求めれば求めるほど苦しくなるのが愛情。
それでもわかっていても人は愛情を求めてしまう。
そして、それは犬も同じことなのかもしれない。
犬は愛して欲しくて、自分の事を見て欲しくて吠える。
でも、どんなに求めても「愛されていない」と知ったとき、彼は声を失う。
人間は「苦しい」「悲しい」という感情をある程度忘れたり他の感情に転嫁させることができる。
でも犬はストレートに「覚えている」。
覚えているから「吠えるのをずっとやめてしまう」。
虐待という過去を忘れるくらいに幸せな経験で記憶をアップデートさせない限り、犬は愚直なまでに一生覚えているのだ。
だからこそ、人間の勝手な都合で犬(に限ったことではないけど)を振り回してはいけない。
犬という「命」を飼うということに付いてまわる責任は、人間に対するものと同等であるはずだし、「犬だから・・・」「犬のくせに・・・」と軽んじるような人間を僕は信用できない。
クライマックスは一応ハッピーエンドとなる。
エンドロールも微笑ましい映像で締めてくれる。
でも、やっぱり人間の身勝手でオズが振り回されたという事実は消えない。
犬を「道具」や「モノ」として考えたところから全員間違えていたのだ。
最後にあの親子がその間違いに気付いていくれたのが本当に救いだった。
アプローチは違うけど、どことなく僕の大好きな「マイ・ドッグ・スキップ」と似たようなテイストの本作。
短編とは思えないくらいにキチンと作られていて、しっかり泣ける作品になっていたと思う。
・・・そういえば、数年前まで実家で飼っていた子も動物管理センターから引き取ってきたワンコ(雑種)だった。
名前は「江戸」。
「エド」でも「EDO」でもなく、漢字で「江戸」。
ある日、僕がいつもどおり学校から帰ってきたら普通の顔して「居た」。
ホントに突然(笑)。
もらわれてきたばかりの頃は、とにかく「ヘタレのビビリ」で、いつも「ク~ンク~ン」と鳴いていたので、結局明け方まで一緒に寝ていたこともよくあった。
そのうち体はどんどん大きくなったけどやっぱりヘタレは変わらず、外で雷が鳴ると「この世の終わりじゃ!」みたいな顔して飛んでくる。
でも、普段はとっても温厚でいい奴だった。
もう老衰で死んじゃったけどね。
後から聞いた話しでは、江戸がもらわれてきたあの日「もし今日貰い手が決らないと明日には殺処分になっちゃうんです」って話を聞いたらしい。
他にもワンコはいっぱいいたけど、全部を貰ってくることは出来ないから・・・とこの子を貰ってきたのだという。
江戸はうちに貰われてきて幸せだったのだろうか?
あの日、選ばれなかった子達の分まで幸せにしてあげることは出来たんだろうか?
ずっとね、そんな事を考えてました。
車に乗せれば必ず臭っさいオナラをしてみんなを困らせたり、番犬のつもりで外に置いたのに誰よりも先に逃げ出したりするような子だったけど、やっぱり家族の一員だったし、常に真ん中にいた気がする。
これから犬を飼おうと思っている方へ。
犬から愛を貰おうとしないで下さい。
まずは犬に愛を注いで下さい。
犬はちゃんと応えてくれますから。
ちゃんと覚えてるから。