ブランドンのことはかなり好きで、今回もとんでもなく好きだった。実存主義的な命題からスタートしながら、あらゆる可能性を捨てずに迂回を繰り返しきちんとサスペンスホラーの新しい面を見せようとしてくる、そういう映画としての豊かさに溢れているなと思った。
最初から普通に笑ってしまったのが、slipknotみたいな集団がケルト音楽みたいなものを演奏していたり、最終的にそのslipknotお面を被って強盗するのもすごく良かった。あのお面は『武器人間』のリチャード・ラーフォーストが作っているらしく(!!)ブランドンが武器人間が大好きと言っていて、すごくよくわかるなと思った、多分この時点でかなり心を掴まれていた。
インタビューにて、彼の映画のようにテクノロジーがそこにあることによって近くの人間の精神のあり方を規定すると言ってて、そういうマジックリアリズムのあり方をとりながら下手な説教じみたものに終始せず、3本目にしてとんでもなく遠くに行ってしまいながらも深みを増していったようにも思う。
あらゆる可能性を捨てなかった一因として、ミア・ゴスから受ける当たり屋のような性被害(あれは本当に許せない)から普通にパッケージツーリズムの恐ろしさへ展開していくにあたって、ブランドンの自己言及が随所に散りばめられているところだ。血の話や父親との関係、「散々酷評された」みたいなところから、父であるデヴィッドをどこかしらにちらつかせるところ。アレクサンダー・スカルスガルドを起用していることも、その"2世"というところをかなり見てくれって感じに開放していて、自己言及をエグい精度でエンタメにしていた。(すごい)自己言及をエグい精度でエンタメにするということはエヴァンゲリオンになるんじゃないかな?と思ったら、やはり最後エヴァンゲリオンになってて、すげ〜なと思った。
ここまで豊かでかつエンタメにするためならあらゆる可能性を捨てないブランドン、あえて親父と比較するならば、デヴィッドはいわばジャンル映画の総体をどうするかみたいなところに終始しているため、荒削りでも様々な角度から"映画"を発生させることが可能だが、ブランドンに至っては"映画"に対する敬意がものすごいため、ホラーというよりも映画IQの高いものを作らざるを得ないみたいな状況になってる。これは想像もつかない呪いだ。