posuyumi

ナチスに仕掛けたチェスゲームのposuyumiのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

富裕であることは貧困層からすれば是正すべき不均衡である。
国難時に安全なところにいて資本家の資本の備蓄に加勢することは戦争最前線に立たされる者にとっては憎んでも飽き足らない傲慢な行為だろう。
すでに持てる側にいる者はそれらの不満層のマグマの動きを軽視する。
むしろ法治国家なのだなんらおかしなことはしていない、法手順を踏めば事は収まる。不安がる妻に安心をし、とあえて余裕をみせるのが紳士仕草だ。
そんな不安定なパーティーシーンがすでに「近未来の日本」かもしれないと苦しくなる。

理性と教養で支えられた尊厳高き男が「文化的な生活」を奪われるとどうなるのか。
経過を見守るとき、想像する。私たちは全てを遮断されたとき、何を繰り返し思い出すのか。

一つの物語を繰り返し思い出す?幼い頃からの絵本を一つ一つ脳内に呼び起こすのかもしれない。
思い出す言葉は美しいものの方がいいな。極限状態のときにすがりえる文章は…などと考える。

映画は時間が前に進み、後ろに戻る。時計を奪われ、時計に翻弄され、自分で時計を止めて再開させる。
フラッシュバックと妄想で時間が動くだけでなく自分の立ち位置も自分が何を経験した人間かも揺らいでいく。
唯一不動なのは、アンナへの愛情だけ。

だけど。アンナという妻がそもそも本当に居たのかも物語を閉じるときに誰にも保証されない。(好きな声の持つ看護師に感化されて病む前の記憶が上塗りされてるかもしれないという含みすらあり得る)

尊厳は守りきったとも破壊されたとも言える映画。
圧倒的に素晴らしかったのは主演俳優。

再開後の食事で妻にどうだったと問い「幸せにすごしてきた(たしか、素晴らしかったと言ってた)」との返事を得たことがそれが、主人公の本当の尊厳だろう。
彼の認知世界において彼は妻を、守れたのだ。
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