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The Great Sadness of Zohara(原題)
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『The Great Sadness of Zohara(原題)』に投稿された感想・評価

[孤独なゾハラの精神旅行] 70点

『Magdalena Viraga』『Queen of Diamonds』『The Bloody Child』へと続く緩い四部作の第一篇。本作品はエルサレムの正統派ユダヤ人コミュニティから疎外されている若い女性ゾハラを描く中編である。映画は『Queen of Diamonds』のように彼女の何気ない日常を追いかけるが、彼女の存在は奇妙にも無視されたように漂い続けている。ナレーションはゾハラの思考を導くように、彼女の声と同じセリフを吐き、遂には思考も奪い取る。ヨーロッパ系ユダヤ人の一家に生まれ、アメリカとイスラエルを往来していたメンケス自身がイスラエルで感じた疎外感や孤独を基にしているらしく、街中で真っピンクのツルッとしたシャツを着て浮きまくってるのも経験なんだろう。やがて、彼女は郊外の砂漠へと旅立つ。この荒涼とした心象風景のような砂漠は、『Queen of Diamonds』にも登場した。エルサレム、ラスベガス、それぞれ砂漠と隣接した都市という不思議な共通性があって興味深い。

最新作『Brainwashed: Sex-Camera-Power』では、彼女がハリウッドにおける女性の描き方について、長年問題視していることが実例とともに語られ、その主体/客体の章で本作品は登場した。確かに、エルサレムの通りで独り浮いてるゾハラを好奇の目で見つめる男たちという構図、或いはカメラを向き直ったゾハラと観客との主体/客体の関係性の入れ替えについては印象的な瞬間だった。
不穏な40分たらずの中編。不協和音。台詞なし、ときおり奇妙な呪文のようなオフボイスの声が入るのみ。万人受けする要素はひとつもない。ニナ・メンケスがUCLAの大学院在学中に制作した作品である(1983年)。

正統派ユダヤ教徒の若い女性Zoharaは、イスラエルのユダヤ共同体からの疎外を感じ、身悶えするほどに苦しんでいる。
ふと彼女は内面に霊的な声が話すのを聴く。その幻聴のような声にしたがって、彼女は旅にでる・・・エルサレムから、アラブ世界へ。彼女はモロッコの迷宮のようなメディナ(旧市街)をさ迷い、内なる声に導かれるようにして、砂塵の舞う荒涼とした地域にひとり足を踏み入れていく・・・

映画の冒頭で、ヨブ記からの引用テクスト(7章12〜15)が画面に映し出される。また、彼女の内面に木霊する霊的な声も、ヨブ記が参照されているようだ。たとえば、それはつぎのような箇所と思われる・・・

(ヨブ記 第7章8〜10)何びとの眼もわたしを認めず / あなたがわたしに眼をとめてもわたしはいないでしょう。/ 雲が消え過ぎ去ってゆくように / 陰府(よみ)に下る者は上がってはこない。/ 再びその家に戻ることはなく / 元の場所も二度と彼を知ることはない。

(ヨブ記 第12章25)彼らは光を奪われて闇の中を手探りし / 彼は彼らを酔いどれのように迷わせる

宗教的な含意はわからないので、理解は限られる。

メンケスは1960年代、米国のヨーロッパ系左翼ユダヤ人家庭に育った。両親はナチス・ドイツによる迫害からの生き残りで、当初はエルサレムに定住していたが、のちに米国に渡った。
イスラエルと米国を往復する中で感じたズレや疎外感等、本作にはメンケス自身の経験が反映されているという。

Zoharaを演じているのは妹のティンカ・メンケスで、本作でも圧倒的な存在感をみせている。

エルサレムの市場で、街路で。モロッコの、男しかいない混雑したカフェで、船着き場で、迷路のようなメディナで。映り込んだユダヤ、アラブの人びと。・・・それらの映像はそれじたい魅力的だ。しかし彼らは皆、ニナのもつカメラの存在を意識している。女ふたり(ひとりは奇妙に短く刈り上げた髪に奇抜な色の服を着ている)が異国を流離いつつ撮影している、それがものめずらしい・・・

この霊的な旅は、メンケス姉妹をどこに導いたのか。少なくとも、のちの『マグダレーナ・ヴィラガ』と『クイーン・オブ・ダイヤモンド』の原型がここにあるといえる。

— 私の希望はどこにあるのか?
— では、あなたの希望はどこにあるのか?

— わたしの希望は?誰がそれを見るのか?
— あなたがたの希望は...

— 今、呼びかけよ、誰が答えてくれるのか、誰に立ち返るのか。
— 道が隠されている者に、なぜ光が与えられるのか? 道が完全に閉ざされている者に・・・・
リコ
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わたしは海であるのか、龍であるのか、/あなたはわたしの上に見張りを置かれる。
『わたしの床はわたしを慰め、/わたしの寝床はわが嘆きを軽くする』と/わたしが言うとき、
あなたは夢をもってわたしを驚かし、/幻をもってわたしを恐れさせられる。
それゆえ、わたしは息の止まることを願い、/わが骨よりもむしろ死を選ぶ。

(ヨブ記 7章12節から15節より)

ユダヤ教正統派の女性ゾハラ(ヘブライ語で光、輝きを意味する)の大いなる悲しみ。
元々短い髪を更に刈り込み、パンクみたいな髪型で異郷をさまよう。
黒ならぬ、ショッキングピンクの迷える仔羊。
Queen of Diamondの主人公と同じように、ザハラも画面の向こうへと去っていく。