R41

宇宙人のあいつのR41のレビュー・感想・評価

宇宙人のあいつ(2023年製作の映画)
4.6
そのあからさまなタイトルに、「隣人X」「光の旅人」のような感じかなと思いきや、あからさまに宇宙人だったが、やはりどこか「隣人X」「光の旅人」の雰囲気を感じた。
この作品はコメディタッチと感動という無敵コラボの鉄板型を利用している。
テーマは「家族」
そして視聴者に問いかけているのが「究極の選択」 そして立場の違いからそれを考えてみるようにできている。
まずは宇宙人の立場 彼の使命「家族の誰かを一人土星に連れ帰ること」
これは「光の旅人」とは違い、ごく狭く限られた中の選択であり、誰を選択するのかという問題と、できなかった場合に起きる「土星文明の崩壊」
そしてヒデオの目的を知った上で、誰が行くべきかまたは断るべきかという選択。
ここでヒデオは家族に嘘をついている。この点を視聴する子供たちが気づいているのかがラストの答えにつながる。
この二つの立場と各々の究極の選択に対する意見交換が、この作品が提供したかったことだろう。
この作品の特徴は、伏線がすぐに回収されることだ。
例えば巨大ウナギ。なぜ川での釣りシーン? そしてそれがソノの妊娠ということにつながっていく。
同僚の娘ユメ。「ちっちゃいソノちゃんが悲しんでます」
当初ソノは中絶を考えていたのだろう。ウナギの「お願い」に気持ちが変わったのだ。ここも気づいてほしい点だろう。
しばらく意味不明なのが「じゃがいも」だけに絞っている。何度か出るのでとてもわかりやすい。
真田家のしきたりが面白い。納豆を毎日食べなければならない決まり。なぜ長男から納豆をご飯にかけ、皆それをするまで待っているのか、しばらく疑問だったが、箸を汚さないためだとわかると、「スプーンを添えろよ」と言いたくなった。
ただ、最後の朝食の時、納豆が回ってきたヒデオの納豆鉢を取り上げるようにテーブルに置いたユメジの意図だけがわからなかった。
家族に起きた問題
ユメジの問題 両親が死んだあと兄弟たちを食べさせるためにしたくもなかった焼肉店を継いだ。だから夢も捨てた。婚活もままならないままだ。
ヒデオの問題 土星からやってきて間もなく帰る。家族の中から誰か一人を土星に連れて帰る必要がある。
ソノの問題 妊娠と彼との別れ。
シモンの問題 昔あだ名をつけた同級生に逆恨みされたこと。
みんなの問題を家族全員が一緒になって解決しようとする。昭和時代の連続ドラマに似ている。
誰が一緒に行くのか? ユメジがくじ引きをさせる。古典的手法かと思いきや、それはヒデオの魔法だった。
ちょっと難解で少し悩むシーンだ。おそらく、ユメジはヒデオに魔法をかけろと仕込んでいた。くじ引きを見るヒデオの心が大きく乱れているのが表情から読み取れる。ヒデオはこのやり取りそのものに対する苦悩と葛藤を抱え込んでいるのと同時に、ユメジに「当たりマークを俺が引いた紐につけろ」と指示を受けていたのだろう。
そしてついに土星に帰るカウントダウン。
予定通りヒデオはユメジを抱きかかえ「宇宙船」に座る。このあたりの発想は「トランスポート」に似ていた。
余談だが、トランスポートもよかった。大好きになった彼女が死ぬ未来を変えるために主人公が決意したこと。切なくて胸が熱くなってくる。
さて、
しかし、打ちあがった直後にユメジを離してしまう。
ユメジは土星には行かなかった。
そうして5か月後にソノに赤ちゃんが生まれた。
その鳴き声に交じり「ただいま~」というヒデオの声。
ヒデオの帰還。
それはおそらく、土星文明が滅びたのだろう。
でもそんなことは真田家には関係ない。
元気な赤ちゃんが生まれた。
もしかしたらそれはヒデオの生まれ変わりなのかもしれない、だけだ。
ストレートな表現と、笑い、そして涙。コメディというコントラストが効いているからこそグッとくる。
良い作品だったと思う。
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    映画とは、純粋に見て面白いという素直な感想がベースに存在すると思う。 そして制作側の表現に、必ず意図があるはずだ。これがぶれてしまえば視聴者に見透かされてしまう。視聴しながら飽きてくるのだ。 膨大な…

    映画とは、純粋に見て面白いという素直な感想がベースに存在すると思う。 そして制作側の表現に、必ず意図があるはずだ。これがぶれてしまえば視聴者に見透かされてしまう。視聴しながら飽きてくるのだ。 膨大な時間と多額のお金と目的意識を持った人々とで作られた映画というコンテンツは、時に一昔前とは比較にならないほど様々な要素が入り複雑化することがあるが、このツイストがたまらなくドキドキ・ワクワク感を演出してくれる。 そして必要不可欠な要素が、主人公への共感だ。動き出した動機、葛藤、やがて答えを導き出す…。まるで誰かの人生をそのまま見ながら、自分をそこに重ね合わせている。 多くの作品がこんな単純なエッセンスで構成されるにも関わらず、時代背景やジャンルによって無数の表現になる。 その表現が蓄積され、まるでブラッシュアップされるように洗練されていくと、人の心の真髄に突き刺さるのかもしれない。 そんな作品は単純な構成にも関わらず、必要要素だけで満たされ、映画ならではの美しい映像がいつまでも心に残る。 どの作品もこのような制作者の意図が出ている。 そして僕は、その表現に敬意を表してコメントを残したい。

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