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嘘を愛する女のR41のレビュー・感想・評価

嘘を愛する女(2018年製作の映画)
4.9
映画館で見たことさえ、すっかりと忘れていた。
やはり気になったのはタイトルだった。
冒頭からどこかで見た印象と、「それ」と似た作品だな~と感じていたが、まさか「それ」だった。
当時人気の頂点だった二人を主演にした映画だったし、それを揶揄した書き込みも見たことを思い出した。
当時の「売れるため」に必要なことを徹底して詰めた作品だったのだろう。
物語そのものは記憶にあったが、当時感じたものはどこかに行ってしまっていて、改めて見ることができた。
さて、
やはり気になってしまうのがタイトルだろう。
これは一見主人公ユカリを表現しているようだが、実際には現代人すべてを対象にしているように感じた。
嘘とはいったい何だろう?
その基本的な意味は桔平そのものだと思われるが、そのほかにもあるように思った。
ウーマンオブザイヤー
仕事で目指す頂点
仕事
「仕事だからしょうがない」
これこそが現代社会の歪なのかもしれない。
そもそも一番大切な家族が、最初に犠牲になる社会構造
お馴染みの言い訳
気づいても後戻りなどできない。
そして、本当に気づいた時はもう手遅れというのは、まるで癌のようだ。
何のために生きているのか?
お金か、仕事か、名誉か、それともそれ以外やることがないからか?
この大いなる仕組みによって隠された「嘘」
それはまるで最も大きな陰謀論のようなものかもしれない。
ユカリの本心
それは普通の女性としての喜びを生きるはずだった。
仕事ができること 良い給料は生活の向上とイコールなのは確かかもしれない。
しかし、
そこに目標を設定することで始まってしまう犠牲
そのスタートが、自分に嘘をつくことなのだろう。
この視点に立つと、案外恐ろしいことが日常茶飯事となっていることに気づく。
目標を立てるなどというのは、自分を殺す犠牲でしかないことの方が多いのだろう。
カワハラユカリ
くも膜下出血による意識不明によって、桔平という人物が得体の知れない男だったことが判明する。
しかしユカリが最初に捨てたのは「キャリア」
何でもかんでも仕事のために生きてきたが、彼女にとってこの出来事は自分の本心がどこにあるのかを再確認するタイミングでもあったのだろう。
それが結婚を意識し始めたことに現れている。
約束をすっぽかした桔平への怒りと、起きてしまった出来事。
他人で済ませられる立場に立ちながら、自分の本心を再確認しなければ前には進めないという判断こそ、ユカリが最初に考えるべきものだったしそうしたことがこの物語の顛末を示している。
同時にこれこそ私たちがいつも「何か」から提示されているのではないだろうか?
何かとは本心 本当の私
この本心を見失わないようにすることで、「私の幸せ」に常に照準を合わせていられるのだろう。
カイバラという探偵
妻の浮気と娘の存在
「知らなければよかった」という言葉に隠された探偵らしからぬ発言は、後悔でしかない。
探偵故のアンテナと行動によって破綻した家族
どうしてもそれが許せなかったことと引き換えてしまった家族との仲
人生の落とし穴という言葉があるが、実際の落とし穴こそ「自分の心」なのかもしれない。
この「許せない気持ち」こそ、人生最大の落とし穴なのだろう。
彼は最後に娘の前に立つ。
「お父さん、だと思う。99.999パーセント」
この最後の0.001パーセントこそが、その「許せなかったこと」であるならば、なんて些細なことだろうか。
そしてそれを受け入れたとき、オセロが全てひっくり返るように素晴らしさになるのかもしれない。
そしてこれもまた、自分探しの旅だ。
安田公平 そして小出桔平
物語の進行は彼の小説がヒントとなるが、それは過去ではなく彼にとっての「もしも」だったが、彼もまた自分自身を許せなかった。
交際しているといつかそうなってしまうのが怖かった。
もし許されるのならというのを物語として書いていた。
未完成というのも中々いい設定だった。
「あなたを許していないのは、あなただけ」という「君の瞳が問いかけている」の言葉を思い出す。
この言葉はかなり普遍的だ。
結局、すべて自分がしている。
自作自演 これこそこの世で私たちのしているゲーム
さて、、
心葉
彼女の存在は時代を感じさせる。
誰も知らなかった桔平のことを知る人物であり、ストーカーのようでもある。
ユカリの知らない桔平の顔
彼女は最後まで作品に登場するが、桔平のすべてがわかったこととそれを突き止めたユカリに対する敗北を感じて去る。
彼女の役割は、桔平に対する未知の象徴
ユカリの中に桔平の未知が消え、同時に心葉も消えたのだろう。
面白いキャラではあるし、端然とした役割があり象徴でもある。
時代を感じてしまったのは、あのゴスロリファッションかもしれない。
当時は、彼女が普通っぽかったら面白くなかったのだろう。
今の感覚とのズレを感じた。
また、
ユカリにとっての本当の喜びを再発見したことが彼女の気づきとなったが、それを探すことがこの物語だった。
地位を失っても、仕事のスポットライトから外されても、心に残っていたのは桔平だった。
彼が本当は何者なのか?
この問いの中には「私はいったい誰なのか」という言葉が隠されているような気がする。
特にユカリにはそれが強く感じられたのだろう。
身元詐称 免許証偽造に加え住民票もない。
手掛かりになった小説 書かれてある家族
中々ナイスな伏線だったが、ユカリの心の中には、いるであろう家族がどうしても離れないはずだ。
逆に当然、犯罪者かもしれない怖さは絶えずどこかにある。
カイバラを瀬戸内まで呼んでおいて、小説の中の宝物を発見しておいてもなお残る怖さ。
このリアルさ。
もし彼に家族がいて、そうなれば私はいったい何がしたいのだろう?
結局その「彼はいったい何者か?」という質問は「私」へと帰ってきた。
ユカリは「私」の本心を探し始めたのだろう。
やがて彼に起きた事実へとたどり着く。
その事実は彼にとってかなりの出来事だったが、若干浅はかな設定にも見えるのは、最近の邦画がこれを端然と上回っているからだろう。
この事実は、ユカリにとって受け入れやすい設定になる。
ここに神とか救いとかが隠されているが、それを省いて行けば「クラウド」のようになるのかもしれない。
「どっちの世界に住みたい?」
これもまた人生と同じで、映画の面白さだろう。
そして私たちのしているゲームは自作自演故に、これを選択することができる。
これを感じさせてくれる映画というジャンルは素晴らしい。
最後にユカリは浮気したことを白状する。
ユカリ自身が彼のすべてを受け入れたことで、彼もまた浮気くらい許してくれると考えられるように変化したのだろう。
同時にそれは自分自身を許したことでもある。
この着地点こそこの作品の最大の魅力だった。
改めて見ると多くの発見があって面白かった。
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