ナガエ

放送不可能のナガエのレビュー・感想・評価

放送不可能(2023年製作の映画)
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なかなか面白い映画だったのだけど、先に1つだけ書いておきたい。もうちょっと、編集を良い感じに出来なかったかなぁ、と。今どき、YouTubeだって、もう少し「見栄えの良い編集」をすると思う。「テレビで放送できないネタをやる」という企画自体はとても良いと思うんだけど、「見栄え」だってもうちょっと気にしないと、広く観てもらえる作品にはならないだろう。そこだけはちょっと、「うーん」と感じてしまった。

この映画は、「放送不可能。」シリーズ(になるようだ。最後に、第2弾の予告として、ホリエモンとの対談の様子が映し出されていた)は、「田原総一朗が墓場に持っていけない話」として、テレビでは放送できないネタをあれこれ聞くというコンセプトで行われている。第1弾の対談相手は、元首相の小泉純一郎であり、ネタは「脱原発」である。

あらかじめ僕のスタンスを書いておくと、僕は「原発という『技術』は素晴らしいのだろうが、それを動かす『人(組織)』に問題があるので、原発は容認出来ない」という立場だ。これは、東日本大震災における福島第一原発事故が起こって以降、僕の中の変わらないスタンスだ。

映画の中では様々なことが語られるのだが、まずはやはり小泉純一郎に特異な点に触れておくべきだろう。印象的な話は3つあった。

まずは、「総理大臣時代、自分は『騙されていた』」という主張。原発は「安全、低コスト、クリーンエネルギー」と言われており、だから総理大臣時代は原発推進派だった。しかし福島第一原発事故が起こって以降、脱原発へと舵を切り、様々な人を巻き込んで脱原発の運動の「象徴」として活動している。

単に「象徴」なのではなく、勉強や視察など活発に行っている。話の中で、フィンランドに作られた「世界初で唯一の使用済み核燃料最終処分場」である「オンカロ」の話が出てくる。小泉純一郎は、そのオンカロの視察に行ったそうだ。そして、2025年稼働予定だというオンカロが最後に残す検査課題が「湿気」だと知り、日本で最終処分場を建設するのは無理だろう、と判断したと語っていた。また、地下400mの場所に2000m四方の土地を確保したオンカロでさえ、原発2基分の使用済み核燃料の保管スペースしかないそうだ。だからフィンランドも、さらなる最終処分場建設をしなければならないが、住民の反対に遭って建設できていないという。原発2基分の最終処分場をどうにかこうにか作れたフィンランドと比べ、日本には54基の原発が存在し、福島第一原発事故直前の段階では、これを100基まで増やす計画が存在していた。どだい無理な話だと分かるだろう。

田原総一朗は政府関係者から、「日本にもオンカロを絶対に造ります」と断言されたことがあるそうだが、「そうやってみんなごまかしてばっかりいる」と痛烈に批判していた。

小泉純一郎は、千葉県の農家が発明した「ソーラーシェアリング」という仕組みについても語っていた(これも自分で観に行ったらしい)。これについて僕は、別の映画で詳しく観たことがあるが、田んぼや畑の上にソーラーパネルを設置することで、「売電の収益」だけでなく、「適度に日陰ができることで作物の生育もよくなる」そうで、どちらも収益がアップするというものだ。以前観た映画では、この仕組みは農家の間でかなり広まりつつあるが、やはり行政の支援がなかなかない(原発を推進したい国は、自然エネルギーへの投資をしようとしない)ため大変だと語っていたような気がする。

そんなわけで、小泉純一郎は、かつて原発推進派だった自分が「誤りだった」と気付き、正しい知識を得て啓蒙活動をしているのであり、その姿勢が非常に興味深かった。

また、そんな小泉純一郎が「脱原発の旗印」を掲げたことで、思わぬプラス効果もあったそうだ。それは、「脱原発=左翼」というイメージが払拭されたというのだ。

僕には理屈はよくわからないが、どうやら「脱原発」を主張すると「左翼」だと受け取られることが多いのだという。僕はあまり「右翼・左翼」の話が分からないのだが、映画の中では、「左翼」という言葉を「自民党反対」という意味合いで使っているようだった。しかし、元自民党で総理大臣経験者である小泉純一郎が脱原発運動のトップにいることで、「『脱原発』と主張しても『左翼』と受け取られずに済むから言いやすくなった」という感想が出てくるようになったそうだ。

小泉純一郎は、「脱原発以外の政治的な話には首を突っ込まないようにしている」と語っていたが、脱原発だけでは「党派がどうのとか関係なくやらなきゃいけない」と主張しており、その言葉通り、その道へと邁進している姿が見事だと思う。

そして最後に、息子である小泉進次郎に言及されていたのが興味深かった。映画の最後、田原総一朗が「これはオフレコでもいいんだけど」と言って口にしたのが、「進次郎はいつ動くんだろうね?」ということだった。小泉純一郎は、もう選挙応援はしないと決めているようで、息子の応援にも言っていないそうだ。政治的な関わりはあまりないのだろう。ただ、「いずれやらざるを得ないだろうね」と言っていた。どうなるか、期待したいところである。

また、小泉純一郎に対しては全体的に、「やっぱり喋りが上手いなぁ」という印象が強かった。マスコミを巻き込んで「小泉劇場」と呼ばれたムーブメントを生み出した当時と同じく、やはり人を惹き付ける話し方をする。映画では、田原総一朗との対談だけではなく、小泉純一郎が全国各地で脱原発の講演をしている様子を収めた映像も挿入されるのだけど、そこでの喋りが達者である。こういう「喋りで人を惹きつけられる人」がリーダーだと物事は動きやすい気がするし、だからこそ、脱原発という動きがちゃんと実現しそうにも思えるという強みがある。

また、これも全体的な印象だが、「どうして頭の良い人たちが『脱原発』を理解できないのか、それが私には理解できない」というスタンスを随時取っていたのも印象的だった。

例えばドイツは、それまで原発推進派だったメルケル元首相が、福島第一原発事故を機に脱原発へと踏み切り、わずか4ヶ月で脱原発への舵を切った。2023年4月(ってことは今月だよな)にすべての原発が停止する予定だそうで、自然エネルギーは46%までに上がっているそうだ。

ドイツの脱原発については、「周辺国から電気を買っているからできるんだ。日本では同じことは出来ないから無理だ」という主張があるようだが、小泉純一郎はドイツに行って話を聞き、それが詭弁だと理解したという。ドイツは単に、周辺国の電気を買う方が安いからそうしているだけで、自国だけでやろうと思えばできるのだそうだ。そもそもヨーロッパでは、EUが、自然エネルギーの割当を2030年までに65%まで引き上げる目標を立てているそうだ。その目標が発表された日に、日本の経済産業省も2030年までの目標を発表したそうだが、日本は僅か22%~24%を目標にしている。

小泉純一郎はしきりに、「なんで頭の良い人たちが、衰退産業である原発にここまで依存するんだろう」と首をかしげていた。田原総一朗は、「経済産業省は電力会社の天下り先でもあり、東電と関電に頭が上がらないからだ」と言っていたが、小泉純一郎は、「いやー、そうだとしても、すべての官僚に気骨がないとは思えないんだけどなぁ」みたいに言っていて、本当に理屈が分からないと感じているようだった。

さて、映画を観ながら僕は、「それまで知らなかった知識を得る」という意味でもなかなか興味深さを感じていた。例えばわかりやすいのは、「原発は保険に入れない」という話。なるほど確かに、と感じた。東京電力が、事故の損害賠償や廃炉の費用を捻出できないから国に援助を求めているという話が出てくるが、どうしてそういう話になるのかと言えば「保険会社が、原発を安全だと見なしていない」からなのだ。「原発は保険に入れない」という事実だけでも、その「安全神話」は崩れるんだろうなぁ、と思う。

また、水力発電についても「そうだったのか」と感じることがあった。国はこれまでいろんなところにダムを造り発言を行っているが、それは主に「治水」を目的にしているのだそうだ。つまり「治水のついでに発言をしている」というわけである。水害などが起こらないようにダムを造り流量を調整している、そしてそのついでの発言、という意味だ。しかし小泉純一郎は、もっと「利水」に力を入れればいいというのだ。

どういうことか。国は「治水」を主目的にしていることもあり、現在の水力発言は発電能力を低く抑えられているのだそうだ。そもそも、水を容量の半分程度までしか溜められないように規制がされているのだという。だからその規制を取り払い、少しダムを改修すれば、発言能力を大幅にアップできるのだそうだ。

専門家の試算によれば、今あるダムの能力を最大限まで活かせば、水力発電だけで全発電量の30%まで賄えるようになるそうだ。現状で8%程度だそうなので、約4倍近くまで能力向上が可能だというわけである。そんな話、これまで知らなかったなぁ。

また、東京電力(か政府か)は、福島第一原発の廃炉に20~30年掛かると言っているそうだが、これも「そんなわけない」のだそうだ。というのも、スコットランドにある原発の廃炉が決まり廃炉作業が1990年頃から始まっているそうだが、作業完了予定が2080年に設定されているというのだ。実に90年である。だから、なぜ福島第一原発の廃炉が30年で終わる見通しが立てられているのか、まったく理解できないという。

このように、「知らなかった知識を得られる」という点でもなかなか面白かった。

映画自体は2021年に撮影されたようで、その後、ロシアによるウクライナ侵攻を経てイギリス・フランス・アメリカの姿勢が変わったことが字幕で訂正される箇所がいくつかあった。その3カ国は、原発の方針を転換(反対だったものを推進することに決めた)そうだ。やはりまだ、自然エネルギーだけですべての電力を賄うのは難しい状況なのだろう。

しかし、映画の中でも語られていたが、日本は世界の中でも自然エネルギーを活用しやすい国であるそうだ。以前僕はテレビのニュース番組の中で、「洋上風力発電の最前線」の特集みたいなのを観たことがある。風力発電は、地上だと土地の確保が難しく、沿岸の場合は漁業への影響などから反対されることが多かったそうだが、風力発電の装置をかなり沖合に設置する技術が確立されるようになったことで、日本の広い領海が活用できると語られていた。確かに、遠くの海に風力発電を建てられるなら、いろんな問題が解消されそうだ(テロリストに狙われる可能性は高まりそうだけど)。

しかし映画の中では、「九州電力」と名指しして、「自然エネルギーの利用を減らせと言っている」などと指摘されていた。要するに、大手電力会社が既得権益を守りたくて反対しているだけなのだろう。

小泉純一郎は、肌感覚として、「脱原発に反対している人はそう多くはない」と語っていた。恐らく時間の問題だろう、とも。僕も、原発の是非が云々よりも、単純に「自然エネルギーの分野で日本の技術が進歩してほしい」という期待から自然エネルギーの利用が促進されてほしいし、そうなる未来を期待してしまう。

小泉純一郎には頑張ってほしいと思う。なんて他人事ではダメなのは分かってるから、僕も関心だけは持つようにする。
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