Kuuta

片思い世界のKuutaのネタバレレビュー・内容・結末

片思い世界(2025年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

死を「階層の移動」「世界線のズレ」と定義する今作は、階段やエレベーターを使った上下動を盛り込みつつ、何よりもカメラの移動=視点の変更こそが死者をスクリーンに蘇らせる。落ちたアメは拾い上げて食べれば良い。

ファーストショットで、天からの目線が現世に降りていく。世界線の分裂と統合をカメラの動きで示している。「花束みたいな恋をした」で見えている世界が違う2人を同居させたのと同様、死者と生者を強引に混在させる今作の安定は、元少年が働く倉庫に入った瞬間に俯瞰視点となり、崩壊する。杉咲花の母親が元少年を問い詰める場面で3度目の俯瞰。冒頭と同じようにカメラが降りていくと、車の窓に母親の影が反射しており、彼女は生者でありながら分裂した人生を歩んできたことがわかる。

母娘はマジックアワーの歩道橋の上で手を重ねるが、新たな子供を迎えに行こうと母親は地上に降りる。受け入れられない杉咲花は階段で泣く。困難な上下動(エレベーターを動かせるのは研究所の職員だけ)の代わりに、並行移動を繰り返すが、天に生きる3人の世界は広がらない。バスに乗る広瀬すず、車に乗る杉咲花、フォークリフトに乗る清原伽耶…。

天の世界を広げるきっかけとなるのはやはり母親で、彼女は3人と一緒に階段を駆け上がり、先を走る娘たちに「逃げて」と叫ぶ。その声に背中を押される形で、3人は灯台に向かい、再び階段を上がって、抜けのいい空の世界を垣間見る。結局、彼女たちは空の住人であり、坂を降りてきたおじさんとすれ違う場面は残酷だが、ラストショットで慰霊碑の小鳥はフレームから離れて飛んでいく。

(被害者というレッテル張りから子供達を解放し、アクションさせる物語なのだが、清原伽耶の被害加害を巡るやり取りは消化不良。特に元少年の交通事故のくだりは苦しい。杉咲花を魔女っぽく見せる演出は市子で見た気がする)

死を受け入れた人間が「存在証明」をするために、東京の街を躍動する展開は私の大好きな「東京上空いらっしゃいませ」のようだった。転がったボールをヒョイと飛び越える清原伽耶はもちろん、バスケをする広瀬すずこそが人間の生の肯定だ、という視点には首肯せざるを得ない。子供時代の広瀬すずが落とした演劇の脚本を、大人になった横浜流星が見つけ、拾い上げる。帰り道のバスで2人の体の動きがシンクロした瞬間に涙。

広瀬すずの主観ショット→応答しない横浜流星の肩越しの切り返し。これだけの役者を擁した作品でありながら、劇中の人物は誰も死した存在に目を向けず、対話は途切れ続ける。だからこそ「お前ら観客が目に焼き付けるんだよ!」と言わんばかりに合唱シーンで顔のアップを繰り返す。スター映画として正しすぎる編集に泣いた。
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