くりふ

窓ぎわのトットちゃんのくりふのレビュー・感想・評価

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
3.0
【トットちゃん、本当はどこに行きたいの?】

評判良さげで、時間も合ったので劇場に行ったが、チョー寝不足で臨んでしまった。前半ある部分で意識失せ、もったいなーと思いつつ最後まで見たが…もったいなくなかったな。

どうにも、明確な像が結ばれない、散漫な後味で終わりました。

原作の方は未だ興味を持てない。映画を見たら、原作のことが余計わからなくなったが。

原作との差異を丁寧に分析している評と出会い、未読なのでそれが正しいかはわからないが、映画の参考にはなり、助かった。

要は、現代のキナ臭さかゆえか反戦を前面に立てることと、トットちゃんに身近なある人物にフォーカスすることで、“泣ける映画”に仕立てたようですね。

またトットちゃんを、日本にもじわじわ忍び寄る戦禍に対する“鳴けない炭鉱のカナリア”と例えたものか?

つらつら愚考したのは、或る理想の教育と、それが叶わなかった先の、結果としての戦争…という対比がうまく嵌れば、素晴らしい映画になったのでは?ということ。

トモエ学園で象徴的だと思ったのが“全裸プール”の場面。生徒が男女皆、素っ裸で水に飛び込み戯れる。劣等感を捨てる取り組みで、考え方には成程と思ったが…物語は障害児にフォーカスして特別扱いしちゃうんだよね。子供たちの横並びがプールの狙いなのに。

ここ、男の子のちんこを描かないのも違和感。トランスジェンダーの子かと思ったよ。

音楽を主としたリトミック教育もより具体的に伝えないと、トモエ学園の顔がハッキリしないと感じた。トットちゃんの父親が演奏家なのだから、物語的な連動もできたろうしね。

例えば1月の風物詩「荒れる成人式」は、トモエ学園のような教育が浸透していれば起きなかったかもしれない。そして極論すれば、そういう教育を受けた子が国を成せば、戦争だって起きなかったかもしれない…それくらい、強制連想させてもよかったんじゃないか?

そう愚考してしまうほど、私にはモヤッとした仕上がりでした。

子供視点から描く映画とはわかるけれど、軍国主義に向かう中だからこそ、トットちゃんははみ出してしまった…と仕立てることは、教師や学校の態度からも描けたのではと。

結果的に、障害児との思い出が第一で、戦争のことは後退、とっても薄くなってしまった。映画として物語として、これでよいのだろうか?

丁寧だし、想いはこもっているし、時代の匂いは感じないが美術も素晴らしいです。

『この世界の片隅に』が現れたからこそ後に連なった作品…ということも伝わってくる。でも個人的には、要するになんの映画か?という像が結ばれなかった。

大野りりあなも、とてもハマっていました。経歴からも本作の主演に相応しい。でもそのことは、声優としての役割とは分けて考えないとね。

<2024.1.3記>
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