Yuchan

窓ぎわのトットちゃんのYuchanのネタバレレビュー・内容・結末

窓ぎわのトットちゃん(2023年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

最近映画クレジットの大切さをしみじみ感じる。内容というより、その「時間」。
作品を見た後、そのとき湧き上がってる感情や波乗りジェットコースターにされたぐちゃぐちゃの感情を消化する時間が必要。ものによっては、じっくり味わったり呑み込む時間。昔はクレジットなんてただの音楽聴く時間やと思ってた笑なんか大人になったんかなぁって。だいたいいつも泣いてる笑


でトットちゃん!かわいすぎ
校長もご両親も、素敵な人。街に育てられて隣のおじいちゃんに育てられて。印象的なシーンは、トモエ學園の子たちがお昼のお散歩に出かけるシーン。みんなで元気よくお弁当の歌を歌ってたら、側で草むしりをしているお爺ちゃんお婆ちゃんがにっこり嬉しそう。こんなん、今ある?少なくとも、確実にその風潮は失われつつあると思う。それはスマホやAIが生まれたから。スマホと会話できてしまうから、「人と人」の関わりが失われる。興味が失われる。人に育てられて、見守られて生きてきてるのに、それに気づけない。気づく機会がない。それってすごく悲しい。我々世代は(2001年生まれ)そう言う意味ではまだギリギリ幸せだったと言えると思う。なぜなら、年賀状を一生懸命に書いてポストに出しに行ったことがあるし、CDを買って再生するのが楽しみなうきうきを味わったことがあるから。全部大人に教えてもらって、継承、されてた。でも今はその機会すら失われてる。たった22年の短い人生の中でも、こんなに失われたと感じるものがあるのに、あと10年もしたら、どうなってしまうんやろう?人間はAIに飲み込まれると言われるけど、それはあながち間違いじゃないんじゃないかと思ってしまう。
小学校の時、近所のお年寄りを訪ねて昔のお話を聞きに行ったことがあるし、お爺ちゃんお婆ちゃんに、メンコやコマの回し方を教えてもらう「むかし遊び」の時間があった。今はあるんだろうか?教育の場は、唯一、それを半義務的にでも継承していける場だと思うし、残していってほしいと強く思う。トットちゃんの校長先生は、そういうことを積極的にしてくれる人だった。
まぁ何が言いたいかというと、平成と令和しか経験していない私たちは年配の人に敵わないと言うこと。デジタルに飲み込まれることなく生き残ってる部分は少ないけど、それに気づけてる中間の時代の今、少しでもこの「人の暖かさ」を残していきたいと強く思う。トットちゃんは、それを教えてくれた映画だった。


あと!
天使になるシーンがすごく好きだった。

またママ・パパと呼んだらスパイだと思われるからダメよ、のシーンで泣いた。
戦争を経験してない私たちは、国を背負うことの重大さと他国の脅威を実感したことなかった。そっか、そんなところでも...と言う感じ。切ない。気持ちを押し殺しながらも守ってくれた親、頭が上がらんな

子どもは無邪気に生きていいんだなってのと、これまで(今も)育ててくれた人へ感謝の気持ちをもたないといけないと学んだ。最近はそんなんばっかり。これが次自分の子供のこと考えるようになると、大人になったといっていいのかな
せっかくみたからメモ。長い
Yuchan

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