映画鑑賞でなく観劇だった。
劇中劇以外の場面も、手先や頭の動き・立ち振る舞い・発声まで全て舞台のそれだった。
初めから最後までずっと鳥肌が立っていた。
何者でもない自分が言うのもおこがましいが、どこをとっても「画角天才」と思った。
写真をパラパラ漫画みたいに重ねたような、計算し尽くされた「映像」に、揺さぶられ続けた。
本物の剣が登場してから、その予感をなぞってストーリーが進む。
幼少期から少年期、青年期へと俳優が変わって行くがなんの違和感もない。
同じ憂いを帯びた眼をどうやって演じたのか。「子役も天才」と思った。人生何周目かなのか。
小豆達は、本物の京劇の舞台を観て涙を流す。
地道で過酷な毎日の地獄がここへ繋がっているのだと初めて気付く。
この時のなんとも言えない表情ったら。
色んな感情が入り混じった涙。
子供にこんな表現ができるなんて。すごい。
一緒に泣いてしまった。
蝶衣が、遊女だった母を重ねた菊仙に言う台詞。
「ありがとう 姉さん」が「母さん」に聞こえた。
蝶衣の、母への憎しみと愛。
蝶衣の、小樓への嫉妬と愛。
小樓の、蝶衣への兄弟愛。
蝶衣と小樓の、師匠への愛。
二人の、京劇への愛。
男でも女でもない、
舞台でも現実でもない、
「さらば、わが愛」とはまさに。
全ての愛を感じた映画だった。
エンドロール後に拍手が起こった。
カーテンコールのようだった。