教育はけして自分たちの考えや技術を鵜呑みにさせることではない。それはまだ、基本的な考え方が定まっていない低学年生にとっては重要だろう。
相手の考えに耳を傾けながら、お互いに問い掛けることで考えを深める。哲学的な対話の方法論はまさにこども時代にこそ、身につけるべき基本スタイルだ。
カトリックとプロテスタントの間で血で血を洗うようなアイルランド紛争があったかの地の小学校で、哲学対話を実践しているエルビス・プレスリーが大好きな校長。見事なまでに子供たちもそれを吸収して健やかにいきいきと成長する。
文部省による厳しい管理教育が続き、そこに疑念なき日本の教育。まずは文科省、そして現場の先生は必見の作品。
モノの見方の多様性は教育からだし、それは教育そのものの多様化からしか生まれないだろう。
わたしは独学に目覚めたことから、目的のみならず方法論の多様性の大事さを学んできたが、集団のチカラにはなかなか抗しがたい。(同じ目的のためには同じやり方を踏襲させようとしたがるし、させたがる。時として「やり方」つまり手順やルール偏重しようとすると圧力が強い)
すべての学校には望まないが、2割程度はこうした教育機関が存在しないとどうなのか。