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エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命のjunjuoneのレビュー・感想・評価

4.2
子供の1人をある日突然引き取られるという、不可解なる理不尽から幕を開け、真相が掴める気配のない巨大な暗幕を思わせる、最大宗教キリスト教の圧倒的な構造を垣間見せられた後、信仰というものの本質を体感させられていく佳作だった。


誘拐された主人公の周辺環境から、キリスト教というものの基礎知識にたくさん触れられる本作。舞台は、教皇領というものがまだバチカンだけでなかった時代。

イタリアの政権が変わると誘拐事件の主犯として教会の神父が逮捕されるし、
裁判では教会が起訴されるし、
政治と司法が一定の機能を働かせ、保守的なカトリックの世界にたびたびメスを入れているのが面白い。


生まれたばかりの子供を勝手に授洗して、愛情が十分に育まれた6年後に狙いを定めてさらいにきて、別離を解消するには一家の改宗を条件とするなど、なんと堕ちた布教活動の極みかと、途中まではそう思い込んで観ていた。

しかしタネが明かされると、ただ召使いが良かれと思って単独で簡易的に赤子に施した授洗、それが教会に報告され、定義上これが正規に認められるとして、これが一家の永遠の別離を決定づけてしまったというもの。
これはこれで、召使いも教会も、重く裁けないだけに余計に事が複雑である。

つまり参入障壁が低すぎる、構造上のなんと無敵なことか。

しかしこういった無慈悲な出来事は、
ユダヤ人ネットワークによる世界的批判、
国内の市民蜂起、
擁護する列国の撤退といった形で、
近代社会と決別した教皇の立場を崩していく発端としてしっかり表現されている。


かくして、誘拐された主人公エドガルドは、神童のような聡明さと教皇お墨付きの寵愛を受けているかのような幼少期から、
二十歳になった頃にはすっかりカトリックに傾倒してどうもうだつの上がらん偏った風格をまとっている様を見せてくれるのが、
映画としてツボを押さえているところだと思う。

教皇崩御の際にはやっと我に返って、家族と四半世紀も引き離された自分の身の上が痛烈に蘇り、家族と感動の再会を果たしていくかに見えた。

まさか死に際の母に無理やり改宗を試みる、ポイント稼ぎのような布教行為を図るとは。。

90年の長い生涯で、こんなうだつの上がらん布教活動に従事したのだろうか。。

しかし、これも宗教。

四半世紀ぶりの息子との再会よりも、最期はユダヤにその身を誓って死を選ぶ、それも宗教。

そして、本作が大筋実話であることも明かされ、最後まで衝撃とともに面白く観れた。


日本人からすると、洗脳という側面に困惑させられるのが大方の印象ではないだろうか。
新興宗教とは違う、世界的市民権を得ているキリスト教というブランドが、日本人からすると盲目的な安心感があるのではないだろうか。

むしろ、その求心力の強さと圧倒的な構造から形成される信仰心に有無を言わさず浸かるものであり、またこれにしっかり抗う人々もいるというのが欧米の社会。

日本人からすれば、この映画では他人事として主人公の家族側である後者に目線を寄り添う人が多いと思うが、できればどちらにも属したくないというのが多くの価値観ではなかろうか。
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