階段からボールが落下してくるシーンから始まる「落下の解剖学」
何故ボールが落ちてきたのか誰にも分からない
サンドラが女学生からインタビューを受けているところに大音量で音楽が流れる冒頭は特に引き込まれる
夫は仕事中だからというが、サンドラも仕事中(接客中)のはずなのに
でも大事なシーンや観客が期待するシーンをこの映画は見せてくれない
根幹である夫の落下死も妻サンドラが殺したのか、自殺したのか、事故なのか…なんなのか分からない
そのシーンがあれば真相が分かるはずなのに
この映画は最後までそれを貫く
例えばサンドラの友人であるイケメンのホット弁護士(ネットで言われてるとか)と夫を亡くしたサンドラが不倫関係にあれば
そのために夫を殺したのかと推測もできるが、昔好きだったという程度に抑えられている
正直息子の弱視という設定はなくても話自体は成立すると思う
何故この設定なのかというと事実はぼんやりと見えているだけで、誰にも分からないという象徴のような使われ方をしていると思った
後半は実際の裁判を追体験するかのような緊張感と時間
言語の違いでも伝えられるものが違うし、人それぞれで見えてるものが違う
分かっていることや分かりやすい事実だけを組み上げて、勝手に真相を作り上げてしまう危険性
人それぞれに見える真実が違うことがよく分かる2時間半でした
日本で言えば湊かなえが被告人になっているようなもの?あと犬すげぇな