最後まで見ても真実がわからない。結局人は「真実が何か」を考えるときに、状況でまず考え、それでもわからなかった時は「何を信じたいか」によって判断を下し、その決断を信じるしかない。ということが言いたい映画だったのかもしれない。
メタ的なことをいうと、例えば同じくパルムドールのパルプフィクションが話のかけらを次々と見せて全体の大きな話を考えさせる映画だとして、この映画は全体の大きな話(転落死)を最初に見せて、そこから細部をどんどん見せていくことで解像度上げていく的な構造のやつだと思った。
犬すごかった。かわいい。