試写会にて。
耳で聴く映画。
無関心という残虐性。
映像と音のギャップ。
エンドロールの曲が怖すぎる。
現在世界中で起こっている戦争や内戦のことを考えるのはもちろん、ネットSNSの世界も同様ではないかと思った。箱庭にも見える安全地域のなかで、好きなもの関心のあることだけの美しい世界を作り、見たくないもの知りたくないことは壁の向こう…ブロック。
監督ジョナサン・グレイザー、音楽ミカ・レヴィ、
プロデューサー(お名前が思い出せない)の三名と、
イギリスとのZoomでつないでのティーチイン有りました。
でも、半分くらい空席だったの。
今までにない映画でしたよ。
80年前のことだけれども、現在進行形。
なぜ学ばなかったのか?
なぜ繰り返すのか?
黙認することは共犯関係にあるということ、その先に何があるかは、判っているはず。
小型カメラで何ヵ所も同時撮影、ドキュメンタリー的視点、役者の表情をあまり見せないのは意図的。
サーモカメラのシーンは、他の自然光のシーンと倫理観をビジュアルで対称に見せた。(最初は何をしているのか、わからなかった。)
冒頭の音だけのシーンで、耳に神経を集中させる。
ホロコーストを加害者側から描きたかった。