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関心領域のSQURのレビュー・感想・評価

関心領域(2023年製作の映画)
3.0
「これから始まる映画では、音に注意を向けてください」という誘導から始まり、ほとんどの時間で不穏なBGMや収容所からの音が聞こえてくる。例えば人間が焼却されている音や、誰かが撃ち殺される音が聞こえてくる。収容所の隣に住んでいる人たちは、それが聞こえていながら聞こえていないフリをしているのか、興味がないからそもそも聞いていないのか、半自動的に意識から締め出しているのか、聞こえているけれど別に気にもしていないのか、そのいずれなのかが観ていてもわからない(見えているけれど見えていない、というところから、映画であれば『ドッグ・ヴィル』を、小説であれば『都市と都市』を連想したりもする)。
ときに彼らがとる「収容所の存在を意識しているんだ」と解釈したくなるようなふとした動作、それはちょっと顔を不自然に動かすようなさり気ないものから、カーテンをめくって窓の外を眺めるような露骨なものまでグラデーションがある。そういった動作を見ると、「ああ、きっとこの人たちも心のどこかでは良心が傷んでいるが自分を守るために聞こえないフリ、見ないフリをしているのだろう」と行動から内面を解釈したくなる。まるでアイヒマン実験が実験参加者たちに「良心」を見出したように。例えば、泣き出す赤ん坊に、彼らを殺すために必要な毒ガスの量を考えていたと話しその後吐きそうな仕草をする父に、家を去っていく祖母に、良心を見出したくなる。しかしそのような推測が実際正解であったか、答え合わせができるような瞬間は映画を通じてついぞ訪れない。たまに収容所のほうに顔を向ける程度の妻に比べて、手紙を残し去っていった祖母はより「心を痛めていた」のかもしれない。しかし、実際は、祖母はもっと別のことで嫌気がさして去ったのかもしれず、妻は表に出さなかっただけで酷く心を痛めていたかもしれない。あるいは、誰一人なにも気にしていなかったか……。
第二次大戦後に生み出され定着し世界に広まりつつある道徳の基準や理性的な人間の規範に基づいて、登場人物たちに「善性」を見出そうとする。善性として彼らの行動を翻訳しようとする。現在から過去を省みてそこに意味や価値や道徳を見出そうとすることは、映画の登場人物の仕草から彼らの内面を想像しようとする試みに似ており、どちらも永遠に答え合わせをすることのできない「遅延」の中にある。善性の顕れとして解釈可能な多様な行動を次々と映し出すことにおいて、この映画は、解釈の‪”‬後から‪”の押し付けの欺瞞を詳らかにする。そのような性善説への信仰がすでにひとつの暴力である、と。
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