わた

関心領域のわたのネタバレレビュー・内容・結末

関心領域(2023年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

本作は、第二次世界大戦真っ最中のポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所の真隣で暮らす、幸せに満ち溢れた家族にフォーカスが当てられている。

自分自身の " 関心領域 " を試されているような映画だった。とにかくすごいので、熱冷めやらぬうちに書き殴っていくことにする。

「よく分からなかった」が、本音。映画としてみてしまうと、「つまらない」とも言えそう。

ロングショットの定点カメラから映し出される映像は、溜息が出るくらいにきれいな景色と素敵なお家、そこで暮らす幸せそうな家族。ただそれだけ。そして、ひとつひとつの映像が、何に繋がっているのか、何を示しているのか、いまいちピンと来ない。そんな映像達の積み重ねに、「無駄なシーンが多い」と感じてしまうのも頷ける。ストーリー性は一切なく、どちらかと言えばドキュメンタリー映像、むしろホームビデオをみている感じ。

だけど、それこそが自分自身の関心領域の狭さを突きつけられた感覚にさせられ、この家族と何ら変わりはないだろうことも、のちのち理解せざるを得なくなる。 

あんなにも残酷な場所の真隣によく住めるなぁと思いますが、ヘスとしては大事な家族を養うため、自分や家族の安全を守るための " 仕方がなかったこと "、子供達としては生まれた時からこの環境、例えば、小さい頃から線路に近い家に住んでいたとすれば、きっとそれはただの日常、ただの生活音にすぎない、壁の真隣に住む彼らにとってもきっと " ただの日常、ただの生活音 " に過ぎなかったのだろうなと思うほかなく、その運命にただただ胸が痛くなる。1番恐ろしいのが奥様で、「何があってもこの家に住み続けたい」という奥様の欲求は、真隣で行われている凄惨な出来事に、目を瞑らせる。それがどんなに近くにあっても、自分の欲求や感情には優らない。無関心の化身であり、1番の人間らしさであり、実は誰もがなり得る可能性があるというのが、何よりの恐ろしさなのかもしれない。

事の大小は様々だけど、「わたしじゃなくてよかった」と、思う場面は少なからずあるはず。そうでもしないと、自分自身を保てないのも本音、だけど、見たくないものから目を逸らした時、見えないと無意識の底に蓋をしてしまった時、それはどんな名前の罪にも当てはまらないけれど、とても重い罪には変わりはないのだと思う。

自分自身の中にある確固たる普通や常識から外れた時、人は初めて異常だと感じる。あの家族が異常だと感じられる私達は、とても幸せ者だと思った。そして、渦中にいない第三者でいられているからこそ、そのような悠長なことを言っていられるのだとも思った。

あそこに登場してきた人物のひとりが自分だった可能性がある、その時、わたしはあの人達と同じことをしないと、果たして言えるのだろうか ?

自分自身の関心領域の狭さに悲しくなった。よく分からないことが多すぎてしまった。忘れてはいけないこと、知っていなければならないこと、この世の中にはたくさんたくさんありすぎる、きっと抱えきれない。大切な人と楽しく過ごし、温かくて美味しいご飯を食べ、ベッドの中で朝を迎える。自分自身が生きる安心と安全の領域外では、今でも戦争や反乱が起きていて、命や権利が剥奪されている事実がある。知らない現実がある。わたしにできることは「知る」ことしかないのかもしれないけれど、関心領域内か外かでは、きっと全然違うのだろう。

この映画をみたことで、もっと知りたい、もっと分かりたい、そう思うことができた。この発見と知ろうと追究する行動こそが、自分自身の関心領域を広く、深くするはずだと思う。この映画は、最初から最後まで「現実から目を離すな」というメッセージ性と、「無意識の闇に追いやるな、自分ごとじゃないんだぞ」という警告を感じさせた。

この作品をおすすめする時、必ず「(映画としてストーリー性を求めて鑑賞するのであれば)つまらない」と忠告することにする。でも、「必ずみてほしい」とも伝える。この映画の真価は、鑑賞しただけで得られるものではなく、鑑賞した人の知識や想像力に委ねられている。「関心領域」、とても考えさせられる映画でした。

ただ、寝不足+連勤明けの鑑賞は、本当に本当におすすめしません。普通にうとうとして、急に無関心領域に入ってしまうので、万全な状態での鑑賞を推奨します。また、アカデミー賞音響賞を受賞しているので、音が本当にすごいです。が、すごすぎて恐怖と不安に駆られるので、レイトショーでの鑑賞もおすすめしません。が、鑑賞するのであれば、必ず映画館で鑑賞してください。 
わた

わた