田中宗一郎

リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシングの田中宗一郎のレビュー・感想・評価

3.9
ロックンロールのみならず今に連なるポップ音楽史においてもっとも偉大な作家の生涯を追ったこのドキュメンタリー映画を撮ったのが、アフロ・アメリカンの女性作家だということ。この映画の中で彼について語る人々の大半が、アフロ・アメリカンの女性とLGBTQ 、60年代英国を生きた白人の音楽家たち、そして彼と時代を共にしたアフロ・アメリカンの老人たちばかりだということ。そう、若い世代のアフロ・アメリカンの男性たちの姿はほぼどこにも見当たらない。この事実はつまり、アフロ・アメリカンであり、ゲイであり、敬虔なクリスチャンたろうとし続けた、矛盾と相剋の人=リトル・リチャードにとって、彼が生きた20世紀半ばの北米のどこにも彼の居場所などあろうはずがなかったことを端的に示唆している。誰もが砂を噛むような思いを抑えきれなくなるだろう悲喜劇的な逸話がひたすら綴られていく101分。だが、スクリーンに映し出されるリトル・リチャードの姿とスピーカーから流れ出てくる彼の声と音楽は、終始ひたすら光り輝き、我々観客の心を高揚させ、思わず劇場の椅子から立ち上がらずにはいられなくさせる。この残酷すぎるコントラストに心を掻き乱されずにはいられない。だが、だからこそ、生涯どこにも帰る場所を持ち得なかったリトル・リチャードという孤独な魂が生み出したロックンロールという音楽が「どこにも帰る場所を持ちえなかった人々にとっての、唯一の帰る場所」になり得たことの必然が否応なく浮かび上がる。彼は目の前の観客と同時代の観客、そして未来の観客のためにすべてを投げ出し、彼自身は何ひとつ得ることがなかった。彼の偉大すぎる功績に見合う栄誉や富のみならず、幸福や安息を手にすることなく、すべての束縛や苦しみから解き放たれるような興奮と自由の感覚を我々観客たちに与え続けた。ひたすら与え続けること、すべてを手放すこと、もしそれが愛の定義だとするなら、彼こそがその言葉に相応しい唯一の存在に違いない。
田中宗一郎

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