幽斎

瞳をとじての幽斎のレビュー・感想・評価

瞳をとじて(2023年製作の映画)
4.8
「ミツバチのささやき」Víctor Erice監督31年振りの新作は俳優失踪事件の謎に挑むヒストリアルミステリー。京都のミニシアター、京都シネマで鑑賞。

始めに一言言わせてくれ169分「長い」(笑)。公開前からスリラー界隈で話題に。31年振りの新作とか寡作にも程が有る。1973年「ミツバチのささやき」、1983年「エル・スール」。1992年「マルメロの陽光」はドキュメンタリー、劇場映画としては40年振り。普通なら忘れ去られる筈が未だに巨匠扱い。ソノ理由は貴方も見れば分かる。

映画監督ミゲルの設定はそのまま監督自身の自伝的要素が強い作風。「エル・スール」未完成を公開した過去が有り、本来もっと長尺。後半部分は公開されずに寸止めだが、違和感なく素晴らしいクオリティ。本作も169分と長尺、監督は「エル・スール」全く納得イカない忸怩たる想いを抱き続け、ソレを本作にありのままブツけた。

「ミツバチのささやき」無垢な少女アナを演じて絶賛された5歳のAna Torrent、現在58歳(にしてはアップに耐える美人だしスタイルも良き)を同じ名前の役で演じさせるのも自伝的。直接の繋がりは無いが、出来れば観た方がより本作の理解が深まる。「エル・スール」も掛け値なしの名作なので、未見の方には強くお勧め。但し、ヒューマンミステリーと言う謳い文句には文句が有る(笑)。ソレを言うならヒストリアルミステリー。

ミツバチもエル・スールも超自然的。本作はリアルで舞台も現代の都市と作風も変遷。スペインの監督にしては珍しくファンタジック、ギリシャ悲劇の様な神秘性も特徴だが、本作は北欧スリラー顔負けの無機質なアーバンテイスト。監督も84歳と立派な高齢者、寡作らしい時の流れはフレームが動かない画角にも良い意味で「老い」感じる。監督のノスタルジーの喪失、言い換えると過去を含めた「今」に生きる。ソレは運命とも言う。

記憶とは常に輝いて見える、ツラい記憶は脳が自動的にイレースする。神秘性と対比すると失われたモノも人其々。人生の記憶も過去に囚われ後ろ向きに考えるより、歳を重ねるからこそ見えるモノも有る。人生の年輪が本作では俳優の皺として再現されてる。

一瞥すると私の専門ミステリーに見えるが、雰囲気がロジックをコントロール。「過去の気配」随所にフォーカス。スリラー的なトリックは無く、「過去の気配」不意に襲う事で、感情も掻き乱される独特の緊張感が秀逸。「静謐」の連続はミツバチやエル・スールと同じ様に、私達への予兆として、真綿で首を絞める独特な世界観で支配してる。

ミステリーらしくチャプターも3部構成。テレビ出演の都市部が第一幕。海辺の住まいが第二幕。俳優に会いに行く第三幕。第二幕が緩衝材の役割を果たすのは、ミステリーらしいセンテンス、全てに緊張感を強いるのは不可能、箸休めの犬と暮らすシーンは、全体を締めるコンジャクション。隠れテーマは「時の流れ」だが、第二幕は時間の使い方が贅沢で「無為な時間」心の豊かさ、人生に厚みを齎す事だと言われてる気もした。

監督の作品に油断は禁物。呑気に構えてると「静謐」襲われる。今の暮らしに満足でも何か物足りない。過去の世界から降りてしまった自分とは?。何方の道が正しいかは人生の終わりに気付くが、アラサーの私も安定した職場に満足してるが、子供の頃に空に憧れパイロットに成りたいとか、様々なジャンクションを経て今が有る。歩んだ道に対して肯定も否定もしないが、道は平坦では無く常に分岐点との闘いにも見える。

第三幕は行方不明のフリオが見付かり、真骨頂の「映画の中の映画」記憶に迫る。「過去の気配」が「静謐」70~80年代の「時の流れ」呼び起こす。劇場で映画を見ると誰と行ったとか何を食べたとか記憶が蘇りますよね。監督が言いたいのも「映画は記憶と共に在る」。人生も記憶の積み重ね、記憶を失う事は人生も失う事とイコールだと。

記憶を取り戻すプロセスも、映画がゲートキーパー。考え事をする時に無意識に眼を閉じる。普通の生理現象ですが、眼を閉じる行為は暗闇に置く事で、心理も自分の内側に向く。「ミツバチのささやき」眼に見えない精霊に話した。アナも一緒に父親の記憶にアクセスする。正しく観れば「ミツバチのささやき」への解答篇にも見える。

【ネタバレ】物語の核心に触れる考察へ移ります。自己責任でご覧下さい【閲覧注意!】

始まりはテレビ番組でフリオを探す旅、真実はミゲルの人生の置き忘れ探し。「別れのまなざし」ロクに撮影せず「娘探しの依頼」と「再会」だけ。娘を探す工程がスッポリ抜け落ちてるが、果たしてソレが何を意味するのか、貴方は分りましたか?。

抜け落ちた部分はミゲルの人生として脳内補完。「起」と「結」しか無いのに、物語が分かるのも凄いがソレは「エル・スール」同じ構図。レヴィがジュディスのメイクを剥がす、最初はジュディスが探してる娘と錯覚するが、年齢差を考えると、レヴィとジュディスは祖父と孫。スリラー的にはダイレクトに繋がる娘。メイクを剥がす事は、人生のメッキも剥がす事。「人生の積もった埃」レヴィは自分の埃を落として此の世を去った。ミゲルは反対に「人生の積もった埃」払わなくて良い。フリオの人生はそのままにして、再び自分の人生に関わらせない。フランクは袖手傍観を演じるので「フランク=ミゲル」考えればジャケ写が意味する処と同じく「真実は瞳の中に」。

と思うが自力で考えられない方の為に続けると、フリオが眼を閉じる。ソレだけで忘れた記憶にアクセス出来た事が伝わる。記憶を呼び起こすのは映画の力だが、ラストで眼を閉じて映画を見ない。忘れた自分の記憶は、映画よりも素晴らしいモノだと気付く。時の流れが持つ残酷さ、記憶の美しさのアンヒバレンツを映す。秀逸なランディングに言葉も無く、エンドロールで喝采の意味を込めて劇場で拍手した。続いて拍手する方も何人も居た。「瞳を閉じて」貴方も永遠に瞳を閉じる前に、是非観て欲しい。

何度もフェードアウトする理由は、映画の句読点で有り貴方の「まばたき」でも有る。
幽斎

幽斎