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哀れなるものたちのnetfilmsのレビュー・感想・評価

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.4
 女は2度生まれるばりに胎盤を通してではなく、脳内で繋がる母娘の輪廻転生のサイクルは極めてわかりやすい形で爆誕する。それを生み出した父親であり、ベラ(エマ・ストーン)に神と呼ばれる天才外科医ゴッドウィン・バクスター(ウィレム・デフォー)が母性ではなく、父性を漂わせる創造者というのがヨルゴス・ランティモスらしい。かくして男どもの実験台として人類の成長のために生み出された異形の人ベラは医学的にはリアリティを欠くが、映画としては寓話的ヒロイン足り得ている。『不思議の国のアリス』か『ピノキオ』か、はたまた少女版『フランケンシュタイン』のような想像主の度が過ぎる過保護さによって母親の子宮に留まるベラだったが、少しずつ成長する心とは裏腹に、彼女の類まれなる美しい外見に男どもは傅く。放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)の甘言により、「ここではないどこか」を夢見る彼女の度を超した願望は肥大化し、紙という形式に捉われる想像主ゴッドウィン・バクスターと想像主により伴侶に指名されたマックス(ラミー・ユセフ)によるいわゆる男性上位的な規範はひとまず成就されることがない。

 アールデコ調に貫かれた19世紀は架空の時代でありながら、微妙にリアリティを欠く描写の数々(飛行機がゆっくりと空を飛んでいる!!)やカラーリングに新機軸を見る。それはシンギュラリティーが議論される現代とも無縁ではないはずだ。ヨルゴス・ランティモスと言えば魚眼レンズによる焦点の狭い画面が特徴的なのだが、ある種観客にフレームの中で起こる全てはフィクションではなく、鏡像関係を維持した作り物だと理解し得るようなカリカチュアされ、デフォルメされた映像としてペーストされることでかえって女性の受難をことさらに強調するある種のツールともなっている。然し乍らベラが現実として味わうことになる男性の見えない所有欲は、パワハラとも言われかねない圧をもろともせず、男性優位社会を痛烈に皮肉ってもいる。男の所有欲に端を発するツールとしての女は、男性上位社会のレールでしかないものの、ベラは安易に男性たちが敷いたレールの上を歩くことも、彼らにかしづこうともしない。

 トライ&エラーでベラが試みる女として生まれたことの痛みの享受は同時に、階層社会における職業差別をも皮肉ってもいる。女の身体が穢れているというダンカンの妄想は彼自身の精神をも崩壊させるのだが、動物との合作を試みる異形の人々を前にすれば雲散霧消化する。エマ・ストーンのある種の痛々しいベラへの憑依(演技)はまず空っぽからスタートしなければならず、そこに女性としての肉体の苦しみを付け加えていく。1度目に観た時は正直言って何もそこまでと思ったものの、『ラ・ラ・ランド』で一度はオスカーを制した女優にとってはこれ以上ない女性としての生き様を時に無邪気に、身を切るように痛切に演じている。その演技者としての愚直なまでのトーンが音楽や美術・衣装などの歪に置かれた世界の中を、躊躇もなく歩いて行く。その姿は異性に従属することのない新たなモンスター爆誕の印象だ。
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