「女性器切除」がド直球で言及され「性の主体性」「父権的社会」がこれだけ語られる物語をフェミニズムという言葉抜きで語るのは無理だろう。この物語をどうにかフェミニズムという言葉を排して語りたいのであれば、それはあなたの問題であり、ベラのように女性が主体性を持ち始めることに対するあなたの"恐れ"なのではないか。赤ん坊のままコントロールできなくなることへの恐れだ。
この映画、遠回しの言い方などせず教科書的ですらあり、むしろ今まで意図的に隠されてきたものを掘り起こして洗浄して提示する分かり易さ、親切さがある。想像していた何倍もシンプルだ。
それ故、女権拡張の人類史(と言っては非常に生温いのだが)をベラと共に歩んでいるようなRPG的グルーブ感、共闘感、それに伴う開放感に満たされることができる。視聴者が男性であってもだ。男性であってもその狙いは変わらず、しかもテーマと衝突しない。何故ならフェミニズムは男性を不幸にしないことが明白だからだ。
あと、「哀れなるものたち」における"性"に関する描写を自動的に"エロ"と翻訳するのはやめた方がいい。というかどのような場面においても"性"≠"エロ"という意識を持つように心がけた方がいい。"エロいかどうか"には性的に魅力的かどうかの「ジャッジ」が常に存在しており、この映画はそのような認知に対して挑戦しているような作品だろう。