mizu

哀れなるものたちのmizuのネタバレレビュー・内容・結末

哀れなるものたち(2023年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

親との関係性で考える「哀れなるものたち」
・結局、「親の影響からは逃れられないものなのではないか?」という結論で、「哀れなるものたち」を読み解いた。

・ラストシーン、ベラは”有害な男性性の権化”のような将軍が瀕死の重体であるのを見て、「進歩させなくちゃ」というセリフとともに、脳みそを山羊のものに替えて、蘇生させる。

・ベラは、成人女性の身体に、胎児の脳みそを移植して、次第に成長していった主人公だった。「見た目は大人、頭脳は子ども」という逆コナンくんとして生きたベラは、その成長の過程で、「女性が自立するとはどういうことか?」を現代社会(特に男たち)への痛烈な皮肉となる描写を数多く積み重ねる。最初は食欲や性欲に支配されて色づいた世界を歩き、次第に知性や対話、社会をよくするためにはどうすればいいのか?を考えるなど、「進歩」していく。周囲の大人たち(多くは男)よりも、完全に大人になっていくのが面白い。

・しかし、ベラが最終的に選んだのは、「どうしようもない人間(将軍)」を「進歩」させるには、それよりマシであろう脳みその持ち主(山羊)をぶちこんでしまえ。そうして加害性を発揮しない、メーメー鳴いて草をはむだけの存在にしてしまう、という結論だった。

・これは非常に暴力的な結論であるし、差別主義的発想とほとんど変わらない。私はリベラルな価値観や政治スタンスを自分のアイデンティティにしているけれど、排外主義的な右派論客やそのサポーターを目の前にすると、こいつらほんとに同じ人間か、とか、動物同様じゃん、みたいな感覚が口にはしないけれど出てくる。そこで実際に口にしたら、それこそ虐殺の第一歩(民族浄化を目的とした虐殺が起こるとき、まず虐殺対象の人々を非人間化して呼称しだす法則があるらしい)である。そういう罪悪感が常にある。

・その結論に、知性を愛し、世の中をよくしていこうと考えたベラがたどり着いてしまうのは、知的水準が高くておそらくランティモス監督作品を好みそうな層の人々への一発パンチをかましてやれる気がする。

・この結論というのは、ベラをいつくしみ、問題もいくつかあったうちのゴッド博士のやっていることから超越できなかった部分を残す進歩である。ゴッド博士はマッドサイエンティストとして、ガチョウと豚を合体させたり、死体を引きずり出して胎児の脳みそを突っ込んだり、その娘が旅に出てからはその代わりとして新たな娘を作り出したり……など、かなり問題がある人物だ。

・しかし、このゴッド博士は、その親(こちらもエリートである医者)からとんでもない人体実験を多数受けて成長したことが、繰り返し挿話として入れられる。ゴッド博士がそれだけの虐待を経たという事情を考えれば、ベラにはめっちゃいい親やれてるやん…みたいな気持ちにうっかりするとなってしまう。ただ、やっている加害は加害であり、その加害は脈々と受け継がれるのである。ゴッド博士父→ゴッド博士→ベラ……相手を本当の意味で尊重する(=相手の身体と脳みそを尊重する)ことは誰もできなかった。

・これが、どんな人でも「親の影響からは逃れられないものなのではないか?」と思ったのである。その「進歩」には限界があり、どこまでいっても完璧な人間にはなれない、そういう意味で「哀れなるものたち」なのかな、と感じた。

余談

BELLA:I realize what you are now Harry, just a broken little boy who cannot bear the pain of the world.

「ベラ:あなたが誰なのかやっと分かったわ、ハリー。あなたは壊れた少年。世界の痛みに耐えられなかったのね。」

→これ超きつかった~~~~~~
mizu

mizu