このレビューはネタバレを含みます
アルド・モーロ殺害の瞬間は、史実に即さない完全な虚構である映画撮影のシーンでのみ演じられる。第6章における「赤い旅団」による銃殺は、「生きていた」モーロに向けられた政治家3人の冷酷な眼差しをとらえたローアングルに、銃声が重ねられ、車のトランクに向けられた火花によってのみ示される。そこにモーロの身体は不在であり、あたかも教皇による遺体なき国葬を予告するかのようなのだ。筒井武文が指摘するように、モーロが監禁された部屋を「赤い旅団」が壊すさまは、「映画のセットを壊しているように見える」のである。その陰鬱な監禁部屋に光が差し込む瞬間は、ネガがポジへと反転する映画的な歓びとして観客に記憶される。この映画を支える二項対立に虚実の対立が重ねられる時、映画撮影の虚構は現実へと反転する。
しかし、そんな論理すら閑却したくなるほど娯楽作としての強度があまりにも高い作品に仕上げるベロッキオの凄味に感服。