西山コタツ

怪物の木こりの西山コタツのネタバレレビュー・内容・結末

怪物の木こり(2023年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

「三池崇の映画とは決別し、金輪際観ない」と誓ったはずが、まったく事前知識を入れずに再生したら事後報告で監督名を知って発狂しそうになった。

あらゆる演出が初っ端からキツかったが、しかしそれを補って余りあるほど物語の強度があるため、監督ごときの手腕では面白さは害われず。途中から、これはサイコパス版の『アルジャーノンに花束を』だと思ってみてみたら、グッとくる切ない話になった。

創作上のサイコパスは、いまでもモンスターのように便利に扱われるし、社会的に危険視されることもよしとされているが、近いうちにこの手の表現も人権的にアウトになるだろうと思う。自身ではどうすることもできない性質を人様に打ち明けたら寄り添われることもなく、ただ恐怖され、さらには迫害を受ける可能性も孕んでいるなんて、人類のやってきた差別の歴史そのものである。

サイコパスは、アメコミならばミュータントとして描かれたメタファーと同じかもしれない。人類の進化形態なのか、はたまた突然変異なのか、そんなことはわからないが怯える対象でもなんでもない。ただ共に生きているだけにすぎないのだ。

この作品は、戯画化されたサイコパスと現実のサイコパスをつなぐような、重要な立ち位置にあると感じられた。マジョリティからすれば「よくわからなくて怖い存在」のサイコパス。しかしサイコパス側からすれば「普通の人間」になることこそが、重要なアイデンティティを喪失するような恐ろしい事態であり、もっとも避けたいことかもしれない。

主人公は、自身を構成する重要な要素の美点と欠陥に向き合い、さらにそこから紆余曲折を経て、「普通の人間」も煩わしい存在ではないと知り、寄り添うことを選ぶ。その展開は、身近な他者を理解せずとも受け入れることが重要なのだと、一見凡庸にも思えるメッセージを万人に届くように伝えるためには、これくらいが適当な尺だったように思う。
西山コタツ

西山コタツ