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ミャンマー・ダイアリーズのkuuのレビュー・感想・評価

ミャンマー・ダイアリーズ(2022年製作の映画)
3.7
『ミャンマー・ダイアリーズ』
原題 Myanmar Diaries
製作年 2022年上映時間 70分
第72回ベルリン国際映画祭でドキュメンタリー賞を受賞したドキュメンタリー。
ミャンマーの映像作家集団『ミャンマー・フィルム・コレクティブ』による短編と、一般市民の記録映像をシームレスにつなぎ、軍事クーデター以降のミャンマーの日常をつづっていく。

2021年2月1日、ミャンマー。
民主化に向けて変革が続き、市民が自由と発展への希望を抱き始めていた中、軍事クーデターが勃発する。
軍は国の支配に動き出し、大規模な抗議デモが全国各地で行われるが、軍の弾圧がエスカレートしていく。
拘束される母を守ろうとする幼い子供、軍と戦うために戦闘訓練を受ける若者たち、隣国に避難して平和だったころの記憶をノートにつづる女性など、市民の記録映像とフィクションがつながり、圧政下に生きる人々の声を浮き彫りにする。

日本において一昔前までは、ミャンマーをビルマと呼んでいた。
アウンサンスーチーなどのニュースなどでミャンマーと云う名称は馴染み深くなったが、小生はどうしてもビルマの印象が強い。
『ビルマの竪琴』(1985年)は『ミャンマーの竪琴』じゃスッキリこない。
世界各国には、他国の名称に対して、国際的な正式名称(英語)とは異なる独自の慣例的呼称がある。
例えば日本について、国際的には『JAPAN』やけど、各国にはそれぞれの言語における慣例的呼称(『リーベンrì běn』(中国語)、『イープンญี่ปุ่น』(タイ語)、『ニャッパンNhật Bản』(ベトナム語)など)がある。
また日本にも他国に対して、アメリカ合衆国に対して『米国』といった独自の呼称がある。
さて、今作品の『ミャンマー連邦共和国』。
正式名称とする国について、日本国では長らく『ビルマ』ちゅう呼称が使われてきた。
これは、オランダ語の『Birma』に由来するものと云われてる。
ところが近年は『ミャンマー』がすっかり一般的となり、若い世代の場合、ビルマを知らない、あるいは旧名称だと思っている人が一般的かな。
しかし、本来二つの名称の間に新旧はない。
ビルマ語には文語と口語の区別があり、そして国名について、元来この国では、長きにわたって文語ではミャンマー、口語ではバマーと表現されてきた。
したがって文書等では、当然のことながら昔から文語でミャンマーとなる。
ただしこれは国内に限ったことで、国外に対しては、英語の『Burma』を使用していた。
1989年、当時の軍事政権が国外に対する『Burma』ちゅう云い方を『Myanmar』に変更した。
そしてこれが、単なる国際名称の変更にとどまらず、国内におけるビルマ語の口語の国名までも変えてしまった。
政府は口語においてバマーではなくミャンマーを使用し、以来、口語としてのミャンマーが社会に浸透していったんやけど、しかし、これを決定した軍事政権に政治的な問題が存在していたため、わが国において、この国の名称として、ビルマを使用するかミャンマーを使用するかで、政治的スタンスが判断されるようになった。。。
なんか、今作品から遠~く話を進めてしまいました🙇。
今作品に戻りまして、
2021年のミャンマー軍事クーデターで最も人目を引くバイラルメディア(バイラルメディアってのは、TwitterやFacebookなどのSNSで拡散されることを目的とした、動画や画像を中心に構成されたブログなどのメディア)は、フィットネス・インストラクターが気合の入ったエクササイズを披露する一方で、背後では軍用車両が国会議事堂を包囲するという驚くべき動画。
日常的な仕事と残忍な政治的買収の超現実的な対比は、軍事政権が誕生したときに何が問題になるかを浮き彫りにしている。 
平凡な日常はすぐに消え去り、国家の暴力と抑圧の果てしないパレードに取って代わられる。
ベルリン賞を受賞した今作品は、匿名の映画製作者たちによって製作され、この有名なビデオから始まる。
最前線にいる人々によってスマートフォンで縦に撮影されたこれらのゲリラ記録は、個人の権利が剥奪されることへの集団的抵抗を捉えている。 デモ隊を恐怖に陥れた若い兵士の車列を勇敢に非難する67歳の女性。
彼女は、戒厳令下の街で荷台の開いたトラックの横に立ち、木と鉄の鉄格子の向こうに無表情に座っている若い準軍事警察官たちを、今のところは恐れず非難してる。
彼女は誰かの娘であり、おそらく妻であり、母であり、祖母である。
『あなたは独裁者、ミン・アウン・フライン将軍を守っているのよ!』
彼女は昔の激しい学校の先生のように指を振って叫んでたり、軍人に家から引きずり出される母親を目の当たりにすると、胸が締め付けられる。 
銃声と悲鳴の幻惑的な不協和音に包まれ、すべてのフレームが、国際メディアから忘れられてしまったかのような、異を唱える市民に加えられた蛮行で揺れ動く。
2021年2月1日ミャンマーヤンゴンでは、フライン将軍率いる軍事政権がクーデターで政権を掌握してから3週間も経っていない。
コロナウイルスのパンデミックは最高潮に達し、コロナウイルスから身を守るために誰もがマスクを着用していた。
それ以来、少なくとも1,549人が政権によって殺害され、9,130人以上が逮捕・起訴・判決されている。
警察の蛮行を撮影するために携帯電話を掲げることさえ死刑宣告になりかねないこの国で、このような映画を製作することの危険性は、今作品を撮影した人々の誰ひとりとしてクレジットされておらず、(連帯のために)オランダのプロデューサーであるZINdocや、オランダ映画基金を含む支援者のヨーロッパ人個人もクレジットされていないことにある。
しかし、ビルマチームの代表者であるミャンマー・フィルム・コレクティブ(MFC)はベルリンにいる。
そこの話では、
『軍部は長い間、クーデターを計画していました。
2015年の総選挙で大敗して以来です』
とMFCのメンバーは云う。
『そして、2020年11月、(民主的に選出された指導者である)アウン・サン・スー・チーの国際的人気が低下していたとき、彼らはいくつかの議席を取り戻すことを期待していた。
しかし、彼らは2015年よりもさらに多くの議席を失った。』と。
フライン将軍が新政府の上級職を要求すると、アウンサンは彼を追い払った。
クーデターが勃発したとき、彼女は真っ先に逮捕され投獄された。
束の間の自由と経済成長を経たビルマの一般市民にとって、軍部のチンピラ集団に再び支配されるショックはあまりにも大きく、何千人もの人々が街頭に出て、鍋やフライパンを叩いて抗議した。
そこで警察と軍隊は実弾で応戦し、虐殺が始まった。
事態は加速し若者たちは、ハリウッド映画『ハンガー・ゲーム』から借りてきた3本指の敬礼を、タイのデモ隊や香港の学生たちが最初に取り入れた。
匿名のビルマ人映画監督は、
『ビルマ社会は信じられないほど保守的です。
裸の男優は完全に破壊的です。
年配の保守的な男たちは、女性の下着の下を歩くこと(たとえば洗濯物の上を歩くこと)は男らしさを奪うと信じている。
純政権にはユーモアのセンスがなく、性的な表現は特に歓迎されません』と述べている。
この映画のヴェリテ(実写)的な要素が我々を紛争の核心へと突き動かす一方で、演出された部分には悲劇に彩られた映像的な静けさがある。
俳優の顔は意図的に隠されているため、壊れた人間関係、迫害、自傷行為などのトラウマは、例えば、ビニール袋を顔にかぶった男や、小さな兵士のように集団で慌ただしく動き回る小さな蟻の映像が繰り返し使われることで、隠喩的に表現されている。
残虐なシーンにこだわるのではなく、寓話的なアプローチは独裁政権下で生きることの根源的な孤独に迫っている。
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