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ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワーのcyphのレビュー・感想・評価

4.4
気まずさを描く映画が好きだけど、自分と映画との間に気まずさの湧き起こる映画も好きだということを知った ニナメンケス自身の作品は手放しで面白いとは思えなかったけど200もの古典から現代までの名作映画を引用しながらのこの映画講義はとてもスリリングで痛快で面白く、同時に自分自身が故意に目を背けていた部分(フェミニストでありながら、つまり家父長制やレイプカルチャーにNOを叫びながら既存の映画文化をこころから愛することはできるのか?という問い)を真っ向から突きつけられて、たとえば万引き常習犯がついに捕まったときこんな気持ちだろうな、と漠然と思った

とにかく何が気まずいって、ニナが理路整然と圧倒的な証拠(POV、フレーミング、カメラの横移動、照明、サウンドデザインの具体例たち)と共に指摘する映画における男女の不均衡、そしてそれが映画産業やそれに触れるわたしたち市民ひとりひとりのバイアスに与える影響について何一つ否定できない(しようともがこうとするならそれは正常化バイアスだと思う)にも関わらず、わたし自身ニナメンケス率いる(かは知らないけど) male gaze警察の一員にすぐさまなれる自信は一ミリもないということ つまり、わたし自身male gaze起点の美意識がすっかりインストールされていてその麻薬なしでやっていける自信なんてさらさらない 若く美しいもの言わぬ客体としての女は素晴らしい、そう簡単に口にできてしまうわたしはどうしてもふんぞりがえった名誉男性としてスクリーンをまなざしてる

とはいえ映画というメディアはそもそも欲望に根ざしやすいもの、現実の水面下に渦巻く欲望をカメラが暴くという原始的な快楽に強く依存する芸術だと思うし、欲望自体を否定したくはない そしてわたしの目は男が欲望する女の美しさを無意識的に欲望してる お笑いもジャニーズを始めとしたアイドル文化もそう、欲望は金になるし、欲望はかならず欲望される側を搾取しながら膨らんでいく 人間の愚かさ・加害性から100%隔離された絶対安全娯楽なんてこの世に存在しないんじゃないだろうか

ひとつ自分の中ではっきり持っておきたいのは、ニナの指摘が決定的にした「欲望され搾取される女性」たちの存在を透明にしないという決意 たとえ今後の鑑賞体験の没入感を損ねようとも、安全にスクリーンを眺めるだけの恵まれた消費者にすぎないわたしの些細な感傷より大切なものがある さすがにそのくらいの矜持は持っていたい 映画を観ててその女性描写はさすがにえーと思うけどわざわざ感想には書かない、なんてことはもちろん息するように起こるけど、えーという気持ちも分離したまま持っていたらいい それはつまり画面の中の女性たちの涙、叫び声、絶望を生身のものとして受け取るということなのでやっぱりタフな選択ではあるけれど

レイプカルチャーや二次加害、女という性のもとに暮らすこの世はまだまだ地獄だけど、少しでもまともな世界にしていくことを諦めない一方で、歴史上にはっきりと刻まれた美しさの虚構に対する感動も諦めない その二輪でいきます

どうでもいいけどわりと最近見たプロミシング・ウーマンの最初のクラブのショットなんかはめちゃ痛快明快でよかったし引用されるかと思ったけどされなかった 女を欲望しないこと、というより男も同じように同じねちっこさ・熱量で欲望されることが当たり前な世界を目指していってほしいと個人的には思うのだけど無理かな 誰かを傷つけない欲望というものを、または欲望と欲望のバランスが完璧に取れる瞬間のことを、諦めたくない これもミソジニーの一種なのかもしれないけどわたしは結局男のことが(その脆弱さのことが)いっとう好きなので

あとアリスギイやドロシーアーズナーの特集ヴェーラでもう一回やってほしい ウォール街の男たちが映画産業を蹂躙する前の貴重な映画史の1ページ 唯一見れたアーズナー『我らは楽しく地獄へ行く』はオールタイムベスト入りだった
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